プチ小説「こんにちは、N先生 86」
私は今から20年程前に吉野家のメニューに焼き鳥丼があった時にはしばしば食しました。当時、牛丼チェーンで知名度がある店としてはやはり吉野家が断トツで、後続のまつややすき家を大きく引き離していました。私は鳥に特化しているなか卯を最近よく利用しますが、まだ利用し始めて1年も経っていません。これらは主力メニューの牛丼や京風和食で競っていますが、私はその他のメニューの方に興味があります。私は牛丼はほとんど食べませんが、吉野家の焼き鳥丼と親子丼、すき家のカルビ丼とまぐろたたき丼、まつやの豚肩ロース丼とうな丼、なか卯のオニオンサーモン丼と温玉照り焼き丼が好物でメニューにあがると何度も通って食べています。今日もなか卯の温玉照り焼き丼を食べようと母校立命館大学前のなか卯に入りました。食券を購入して通りに面した席に座り、前を通る市バスや乗用車を見ていると横の席に座る人がいました。それはN先生でした。
「君は3月までここによく来ていたが、最近は来ないね。何か理由があるのかな」
「ああ、N先生。ぼくはもともとなか卯で食事をすることがなく、自宅の最寄りの駅のなか卯は大分前からあったのに行きませんでした。でも半年ほど前にここで昼食を食べて美味しかったのでなか卯でも食事をするようになりました。でも大学が開講している時は、西側広場で安くて美味しい弁当が売られているので、雨の日以外はなか卯やハイライトやまつやには行きません。今日は雨なのでここで昼食を取ることにしたんです」
「ココハナニガウマインヤ」
「そ、それは」
「ぼくも一度、M29800星雲からやって来た宇宙人のマネをしてみたかったんだ。もう既に温玉付き焼き鳥丼を頼んだから、旨いものを言ってもらう必要はない。ところで君は午前中に大学図書館で松本清張の『中央流砂』を読み終えたようだが、どうだった」
「標題の「流砂(るさ)」というのは底なし沼のことのようですが、底なし沼を描いた小説としてはよくできていると思いますが、推理小説としては謎解きや悪者が追い詰められるというところがないので少し物足りないなあと思いました。かわいそうな課長補佐が生贄の羊となって関係者みんなが胸を撫でおろしたという感じの小説です」
「そうだね奥さんがいて、こちらも一時悲しみに暮れるが、香典として大金が懐に入り、出版社や保険勧誘の仕事を世話してもらい、その上子供たちの学費も見てもらえることになり若返って別人のようになる」
「途中までは謎解きで、警察官がどのように西弁護士を追い詰めて行くのかとても興味があったのですが、肩透かしを食った感じでした。山田事務官が大きな鍵を握っていて、彼は岡村局長や西弁護士のたくらみを知っているようなので彼が正義感を持って警察に事件の真相を語っていれば、警察も操作を続けて事件の核心に近付くことができたでしょうが、保身に徹して何も語りませんでした」
「山田事務官は自殺か事故と見做された課長補佐の死体を上司の命令で引き取りに作並温泉に行くのだが、この時に課長補佐と長い時間を共有した西弁護士と会って指示を受ける。そうして課長補佐の遺体が山田事務官の運転で移送されるのだが、死体の様子が怪しいと山田事務官自身も思っている」
「西弁護士の巧妙に見えるトリックも実は穴だらけで、優秀な警察官が謎解きを始めればきっと西弁護士は逮捕されただろう」
「そういったところは物足りないですが、「砂糖輸入の自由化を背景にした汚職事件」について描いた小説としてはなるほどなあと思わせる内容になっています。こういった内容の物語を鋭い切れ味で描いているのは流石と思わせるところがあります。余りにリアルに描かれていて私が感想を言い忘れた小説に『状況曲線』がありますが、この小説も他の文筆業の方がほとんど取り上げない「談合」について実例を挙げてわかりやすく解説されています」
「でも『状況曲線』巻末の和田勉氏の解説を見ると大変な苦労をして松本氏が書かれていることが理解できる。この解説は作者の気概が偲ばれる文章だから、松本清張さんのファンでない人はぜひこの解説を読んで彼がいかに使命感を持って社会派の小説を書いていたか知って、彼のファンになってほしいと思う」
「同感です」