プチ小説「こんにちは、N先生 88」

私は一昨年の7月に仕事をやめたので以前のような活動は出来ませんが、2002年から続けている名曲喫茶ヴィオロンでのLPレコードコンサート、50才から習っているクラリネットのレッスン、2011年10月に『こんにちは、ディケンズ先生』を出版した時から毎回参加しているディケンズ・フェロウシップの総会(今年から6月の総会だけになりました)への参加はこれからも爪に火を点してでも必ず続けて行きたいと思っています。ただ6月にLPレコードコンサートもクラリネットの発表会もディケンズ・フェロウシップの総会もあり、しかも6月の前半に集中します。ことしも6月1日に発表会、6月2日にLPレコードコンサート、6月8日に福岡大学でディケンズ・フェロウシップの総会がありました。楽しみが続くと言うのは喜びが継続するので結構なことですが、LPレコードコンサートの来場者が数人だといつまで続けられるのかと心配になります。
ディケンズ・フェロウシップの令和6年度の総会は福岡大学でありましたが、大阪から参加するとなると新幹線と宿泊費4万円余りが必要になります。そうなると総会参加だけではもったいないということになり、宿泊した翌日は近くの観光地に行くことになります。今回は博多に宿泊したので、夜景撮影の下見に皿倉山(最寄りの駅はJR八幡駅)と北九州市立松本清張記念館(最寄りの駅はJR小倉駅 小倉城の側です)に行くことにしました。前日から生憎の雨でJR八幡駅から40分歩いてケーブルカーの駅まで行きましたが、ケーブルカーで100メートルほど登ったところでガスで市街を見ることができなくなりました。それでも案内の方が色々な情報をくださったので、また11月の天気がいい日の夜にここに来て夜景の撮影をしようと思いました。下りは送迎バスを利用したので5分程でJR八幡駅前に戻ることが出来ました。昼食は下調べしていた八幡チャンポンを食べることにしました。焼きそばも美味しそうなのでどちらにしようか迷いましたが、チキンカツが乗っかった八幡チャンポン(チキンカツはオプションのようです)を注文しました。前日、食べた元祖長浜屋のとんこつラーメンもシンプルで良かったのですが、タマゴをスープに混ぜた八幡チャンポンも美味しかったです。トンカツソースが置かれてあったので、それをつけたチキンカツを食べてからチャンポンにとりかかりました。キャベツがたっぷり入っていてお腹がいっぱいになりました。

      

店を出るとすぐに寄り道せずに八幡駅に入りましたが、次の電車まで20分程ありました。駅舎の中に美味しそうな弁当を販売しているコーナーがありましたが、八幡チャンポンを食べたところなのでそこを通り過ぎホームで電車を待ちました。ホームで待っているとすずめがやって来て、こちらを見上げました。そのすずめが隣のベンチでじっとしていたので、そっと鞄からカメラを取り出して撮影しました。以前からすずめを撮りたいと思っていたので、これだけで八幡までやって来た甲斐があったと思いました。

  

いつまでもいてくれたら良かったのですが、近くに人が来たのですずめは飛び去りました。そうして聞き慣れた声が聞こえました。
「君は一昨日ブロッホの『誘惑者』を読み終えたようだが、どうだった」
「N先生、なぜ先生がここにおられるのですか」
「そりゃー、君が本を読み終えたからだよ」
私は質問の仕方が悪かったと思ったので、質問をし直しました。
「先生も皿倉山で夜景を見る予定があるのですか」
「いや、ぼくは八幡焼きそばを食べに来たんだが、食べて八幡駅のホームに上がると君がいたんで声を掛けたんだ」
「そうですか。今回は『ウェルギリウスの死』の著者のブロッホの作品でしたが、未完成の作品という感じでした。不満なので、次は『夢遊の人々』を読もうかなと思っています。『ウェルギリウスの死』が緻密で繊細な文体で濃い内容の小説だと思ったのですが、ローマ時代の大詩人ウェルギリウスと『誘惑者』の主人公の医師の考えることが違うからか、性格が違うからか中途半端な感じがしました。この医師はエリートコースを歩んでいたのですが、研修生の女性医師と不幸な出会いがあったために寒村の地域医療で頑張ることになります。村の若い人を扇動して混乱を巻き起こすマリウスという青年に対してこの医師が弱腰なところがあり、私は彼のやっていることが物足りなく思いました」
「でも村の長老のような役割をしているギションのおふくろさんを差し置いて、村の人に命令を下すわけには行かないだろうし暴動を起こしかねない若者をたった一人で言葉でねじ伏せるということは難しいだろう。やはり村の年配の人らと現状維持が出来るように頑張ることしかできなかっただろう。ぼくはどちらかというとそう言った対決より。自然描写や村の生活を描いたところに興味を持って読んだ。マリウスを懲らしめるというのはすかっとするかもしれないが、こういう危険な人物があなたの村にやって来るかもしれませんよという警告を発するということなら、この小説は充分に役割を果たしたんじゃないかなと思う」
「ぼくはこの小説を読んでほっこりしたところがあるんですが、先生わかりますか」
「ローザがはしかになって、行き場がなくて医師が家で預かるところだろ。ローザはそれほどかわいくないと後に言っているが、ここのところはほんとにかわいい」
「ちょっと、そこを抜き出してみます。
 『そしてわたしはローザに向って言った。「さて、君はどうかな、わたしの家に泊まりたくないかね、トラップの家に」
   彼女は実にずるがしこそうな顔をして、きわめてつらい災難に脅かされているかのように今ではほんとうに両手を揉んでいる父親の姿を目から放さずに、頭を横振った。
  腹を立てずにいるのはむつかしかった。そこでわたしは話題を変えるためにたずねた。「君がそこで作ってるきれいなものは何だね」斜面机の上には光沢のある色紙の細長い切れで作った編み細工がのっていた。ところが、わたしがそれをよく見ようとして ― 色と形はすでに夕暮れの灰色の中にぼうっと滲ん  でいた ― 机に近づき、ウェチーが台所の床にひそむ風邪の危険から子供を守るために机の下に敷いた板の上にのっかったとき、わたしの重みで板がひょこんと持ち上がり、そのためローザは気持ちのよい振動を感じた。
 「もう一度して」
  ウェチーも無邪気に笑った。娘の大喜びに感染して彼ははしかとわたしの提案のことを忘れてしまった様子だった。手を揉んで苦しんでいた彼は、いまでは手を嬉しそうにこすり合わせていた。「ああ、もう一度子供を喜ばせてやってください、先生」と彼は頼んだ。
  よろしい、わたしは突然上出来の戯れとなった動作をくりかえし、もう一度板の上にのっかった。またもや大成功で娘と父親を喜ばせた。とはいえ、この遊びをいつまでもつづける気はなかった。
 「ウェチー君、奥さんのところへ行って相談してきたまえ」
 「もう一度して」と子供はせがんだ。ところが、父親が ― わたしの命令にがっかりして ― 去るやいなや、彼女は。この小さな女はわたしと別の協定を結ぼうと試みた。
 「あたしがあなたのところへ行ったら、あたしとこれをして遊んでくれる」
 「もちろんだとも、わたしたちがこのベンチをむこうまで持っていけたらね」』
こういう村の人と医師との素朴な会話がこの小説の面白いところで、そればかりだと退屈なのでたまにマリウスが騒動を起こすという感じです。マリウスの言動は医師や村の年配の人の反感を買いますが、排斥する動きはなくむしろ認められるところを認めて村に取り込もうとします」
「この小説は未完のようにも思えるが、『誘惑者』という作品名で翻訳が出ている。村の人の生活や山の自然描写を切り取ったものとして充実していて、ブロッホらしいユーモアもある。そういう意味でこの小説は良くできていると考える」
「そうですね。『夢遊の人々』も楽しい小説だといいな」