プチ小説「こんにちは、N先生 90」

私は昨年8月にコロナにかかって以降は、それ以前のように阪急西院駅で下車して母校まで歩くのも、帰る時になるべく同じ道を歩いて帰るのもやめました。体力がなかなか回復しなかったためなのですが、結局最近では行きは阪急烏丸駅で下車して55番の市バスで母校まで行き、帰りは52番か55番の市バスで四条大宮まで行き阪急電車に乗るようになりました。本日もヘルマン・ブロッホの『夢遊の人々』の下巻(ちくま文庫)をようやく読み終えていつものように立命館大学前のバス停に行くとN先生がいましたが、今日は別の人と一緒でした。二人は30年来の友人のように仲良く話されていました。よく見るとその人はご無沙汰している風光書房の店主さんでした。私は驚きを隠せず、思わず大きな声を出してしまいました。
「な、なんで、N先生とS田さんがここにおられて、談笑されているのですか」
N先生は、F君と話すのは私の楽しみだから、私に任せてほしいとS田さんに言われました。それから私に言われました。
「それは君がさっき、『夢遊の人々』を読み終えたからだよ。この本をはじめブロッホの本が面白いことはぼくよりたくさんS田さんから聞いているんだろ。だから御足労をお願いしたんだ」
私はなぜそのことをN先生が知っているのかとても不思議でしたが、何も言いませんでした。
「なんだ、思い出せないのか。ぼくは君が大学3回生の時にブロッホの『ウェルギリウスの死』が面白いと紹介しただけだが、S田さんは今から10年程前風光書房に君が来店した時に『ウェルギリウスの死』の話をしただけでなく、『夢遊の人々』やこの前君が読んだ『誘惑者』を紹介したのだった。君は『ウェルギリウスの死』と『誘惑者』を風光書房で購入したが、『ウェルギリウスの死』だけを読んだ。だけど最近になって『誘惑者』の方もようやく読んだ」
「どうしてそんなことまで先生が知っているのですか」
「そりゃー、ブロッホの愛好家は勘が鋭いから、君がどんな本を読むかを知るのはお茶の子さいさいだよ。だいたいブロッホの翻訳は『ウェルギリウスの死』と『夢遊の人々』と『誘惑者』と『罪なき人々』くらいなものだから、『ウェルギリウスの死』を読んだ後ようやく10年後に『誘惑者』を読んだとなったら、きっと『夢遊の人々』も読むだろうということになる」
「でも、先生、この小説のハードカヴァー(中央公論社)は725ページもあって、携帯に極めて不便です。小型の百科事典ほどもあります」
「必要があって広辞苑を携帯していると思えばいいのさ。でも君は本が重いと言ってハードカヴァーは諦めて母校の図書館で文庫本を借りたんだろ」
「そうです、ハードカヴァーを買うのを諦めましたが、文庫本なら何とか読み終えれると思ったのでした」
「面白かったかい」
「正直言って、未完成の『誘惑者』よりはまとまっていると思いましたが、多くの部分を占めていてあまり本筋と関係ないように思われる「価値の崩壊」のところが難解で、哲学や論理学の素養のない私にはハードルが3メートルほどの高さにあるように思いました。以前、ブロッホの評論『ホフマンスタールとその時代』を読んだ時もそんな気がしました。これは私のような凡人の読者に、お前は読まんでいいと言われているようでいい気分がしませんでした。それでも何とか終わりまで読むことはできました」
「読んだと言っても、「価値の崩壊」のところはほとんど理解できなかったわけだ。でも第1部の主人公フォン・バーゼノウ(1888年頃が舞台)、第2部の主人公アウグスト・エッシュ(1903年頃が舞台)、第3部の主人公ヴィルヘルム・ユグノオ(1918年頃が舞台)の性格とか何をしたかというのは理解できたのかな」
「フォン・バーゼノウは悪友のためこっそり関係を持っている女とうまく行かなくなり自暴自棄になっていましたが、このままでは行き詰るという時になってやっと親が決めた令嬢との結婚をしぶしぶしたという貴族で軍人の人ですが、第3部の舞台では市の指令官で登場します。エッシュは会計事務員の仕事に不満を持ち別の働き口を探しますが、思うように稼げずずっといらいらしています。行きつけの飲み屋の女将と仲良くなり結婚しますが15才年上ということもあり不満をもっています。第3部ではフォン・バーゼノウが司令官をしている市の広報誌の編集長で登場します。ここに脱走兵としてユグノオがやって来て自分の身分を隠して、編集長をさせろとフォン・バーゼノウに願い出ます。3人とも脛に瑕を持っているのですが、フォン・バーゼノウとエッシュはをユグノオの言動を大目に見て大過なく過ごしてきました。ところが悪知恵の働くユグノオが自分の思い通りに生活して行くためにふたりの生活に踏み込み乱して行きます。戦争が悪化して混乱状態になるまではふたりとも持ち堪えていましたが、混乱が生じるとユグノオはそれを利用して二人を破滅に導いて行きます。エッシュはユグノオに銃剣で刺殺されますし、暴徒に襲われたフォン・バーゼノウを当局に引き渡したとはいえ、ユグノオは暴動に対して何かを期待していたかのようです」
「そうか、ユグノオのような要領のいい人物を君は好きになれないんだね」
「そうですね、殺人を犯したその後もエッシュの会社の株式を横領したりそれを元手にフランスで事業を起こしたりして市長候補となったり結婚して子供を持ったりします。一生貧乏で子供を持つことができなかったエッシュと比べなくても素晴らしい人生を送ったと言えます。わかりやすく言うとユライヤ・ヒープ(ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』に出て来る悪者)のような人が殺人を犯したのに何の罪にも問われず、楽しい余生を過ごしたという感じです」
「まあ、ユグノオについてはそのくらいにして、他に気になる登場人物はどうだった」
「ハンナ・ヴェントリングはエロティックな雰囲気があり気になっていましたが、突然重い肺炎で死んでしまいました。ヤレツキー中尉と看護婦マチルデが懇意になっても良かったのにと思うのですが、ヤレツキー中尉は出発してしまいます。塹壕で生き埋めになって救助されたルードヴィヒ・ゲーディッケは一度回復しても明るい日差しが射すことがない。何で出て来たのかと思います。こうして見るとユグノオの話以外にも興味を持たせる挿話がありますが、どれも中途半端で終わってしまいます」
「まあ、君の場合、ディケンズの『大いなる遺産』『デイヴィッド・コパフィールド』『リトル・ドリット』のような話が好きなのだから、ユグノオのような登場人物が好きなように行動して咎められない『夢遊の人々』は好きになれない、とこういうわけだね」
「そうです、フォン・バーゼノウ少佐はいいとしてもエッシュがあまりに気の毒です」