プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 暑い日の過ごし方編

毎年のようにぼやいとるけど最近の夏はわしが幼少だった頃と比べると信じれんくらい暑い。インクレディブルを通り越してオーフルという感じや。例えばわしは汗かきなんやけど、上半身と頭髪が水をかぶったようにびちゃびちゃになってしもうてハンカチではどないにもならんようになったら、これは思わずインクレディブルと叫んでしまいそうになるやろ。ほしてそれ以上あつうなって下半身もびちゃびちゃになっておしっこ漏らしたみたいになったら、これは思わずオーフルと叫んでしまうやろ。とにかく最近の夏はそんな恐怖感を起こさせるくらいものごっつう暑いのや。そら、あんた、ほんまに漏らしたんちゃうんかいなと言われそうやけど、そんなことがないようにわしはやばそうやなと思うたら、駅、駅ビル、喫茶店、コンビニのトイレや公衆トイレをすぐに利用する。夏は発汗が多いからまだましやけど、冬場は利尿剤を飲んどるから20分おきに4回トイレに行くなんてこともある。トイレの回数が減るのが少しの慰めかもしらんけど、とにかく暑いのはかなん。わしは最寄りの駅から自宅まで25分程かかって歩いて帰るんやが、35度以上の中25分歩くんはほんまに辛い。暑うてかなわんかったらコンビニなんかに寄り道したりするけど何も買わんわけにはいかんから高くついてしまう。ほやけどみんな化石燃料が地球温暖化の原因やとわかっとるのに、なんで他のエネルギーを利用するように舵を切らへんねやろ。確かに原発は放射能が怖いし後の処分に困ると言うのはようわかるけど、太陽光発電、風力発電はあかんのやろか。何となく水力発電と同じように景観の問題があるような感じがする。都市部に風車やパネルを設置するわけに行かへんから田舎や辺鄙な山や海に設置することになるんやろけど、そこの景観が好きやと言う人が一人でもおったらアカンかもしらん。山を削って太陽電池パネルを設置したり、ごつい白い風車を海岸線に何基も並べなあかんことになるからなあ。ええ景色やなと思うてシャッター切ったら、ずらっと並んだパネルや何基も並んだ白い塔のような風車が入ったんでは景観としてはあんまり好ましくない。多分、遠慮して設置しとるんやろけどどうにもこうにもならんようになったら、山では登山ルートの途中にずらりと太陽電池パネルが並んだり、海ではリアス式海岸の景勝地に白い風車がなんぼも並んでるということにならんのやろか。他に地熱発電なんか聞くけどメジャーなエネルギーにはならんのやろか。ここらあたりのこと船場はどない思うとるんやろ。ちょっと訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかー。はいはい、兄さん、ぼくのようなしょうもないやつが言ってもええんやったら言わしてもらいますが、結論から言うと資本主義社会はさらに上の利益を追求せんとあかんから後ろ向きには進めんという大前提があります。つまりいくら節約節約言うても結果として前年に比べるとエネルギーを全部足したら前年を上回るんです。だから火力発電を控えるということになったら、原子力発電か水力発電か新興の風力発電、太陽光発電、地熱発電なんかに頼らんとアカンわけです。そら、あんたに言われんでもみんなわかっとることやんか。偉い人がみんな一所懸命考えて、環境が疲弊するのを少しでも減らすようにしとるやろ。でも毎年のように猛暑日がありますし最近は40度を超えてもああまたかの程度です。山形市の40度の最高気温というのはぼくが小さい頃からずっと変わらずでした。ネットで調べると74年間最高気温の記録で2007年に熊谷市と多治見市で更新されたとなっています。この傾向は21世紀に入ってしばらくしてからですが、21世紀というのはそれまでと違って環境への配慮が薄れてきている気がします。具体的に言うとどうなるんかな。それは筋道立てて説明するのは難しいですが、それまでのエネルギーの伸びを同じように継続するために何をしたらええか一所懸命考えてずっとそれを続けているということです。きっとこのままもうほんまにアカンとなるまで上がり続けることでしょう。ほやけど今までも地球の危機というのはあったから地球温暖化と言う危機もやり過ごせるのとちゃうのん。いいえ、限界は近いと思います。オイルマネーの国では気温50度以上の日が頻繁にある、ヨーロッパでも50度以上を記録している。となると日本でも41度42度43度44度45度と上がって行くことでしょう。そうなるとエアコンをフルに使わざるを得ないから、電気の需要に応えるために火力発電、原子力発電を中心に大量のエネルギーが供給されるでしょう。山火事や海面水位の上昇も他人事やあらへん。ほんとそうですね。ハワイではあっという間に町が消えましたし、インド洋の国は領土のほとんどが消えてしまいました。これらはお隣の国で発生しているのではなく遠く離れたところで起きていることなので実感が湧かないのかもしれませんが、決して夢の中でのことではなくて実際起きていることなので、いつか身近で起きる可能性はあるということです。昔はこのままいったらキケンということになったら偉い人が現れて、そんなことしたらアカンやんと言って軌道修正してくれることがありましたが、今のところそういう動きがないので今の状況を客観的に見ると、神様がお前ら好きにしたらええねんと諦めているということになるのかもしれません。ぼくとしては、そんなこと言わんと助けてーなと言いたいところですが、負け犬の遠吠えのようで無駄なことのような気がします。