プチ小説「たこちゃんの嘆き」

そりゃー、たこちゃんというあだ名がついてしまったのは、自業自得だったさ。小学校1年の時に市民会館に
当時人気のあった漫才トリオがやってきて、真ん中の人がタコ踊りをやったんだ。当時悪のりしやすかった
ぼくはそれに強い影響を受けた。翌朝、通学の途中で同じ長屋に住む同級生にその踊りを思わず披露してしまった。
噂はその長屋に住む友人やその親の間に広まり、それからみんなから、「あっ、たこちゃん、元気にしてる」なんて
言われるようになったんだ。でも、ぼくのあだ名が長屋で有名になったのは、小学校6年生の時に少年野球に
出てからだった。小学校5年までは出番がほとんどなかったので、牽制アウトや外野フライを万歳するくらいで
あまり目立たなかったのだけれど、6年生になると最後の年だからといきなり先発出場になってしまった。
なぜか自分が守りについたところにボールが飛んで来なくて助かったけど、打つ方は嫌でもやって来た。悪いことに
3回とも三振してしまった。3打席3三振(3たこ)ということで、しばらくは「たこ」と呼ばれ、「ちゃん」を
つけてもらえなかった。「たこちゃんと呼んで」と叫びたかったが、その方がもっと恥ずかしいと思って
やめたんだ。中学、高校は近所の人と会う機会が少なくなり、「たこちゃん」と呼ばれることもなくなった。
ところが幼なじみが大学に入ってから、その友人のところに頻繁に行くようになった。当時はぼくはまだ浪人生で
その友人はぼくに対して優越感を持ったのか、「ちゃん」づけしてくれなかった。それからしばらくして家に来た時、
「たこ、○○しろ」だとか、「たこ、△△に□□を☆☆させろ」などというのを母親が聞いて、友人を
呼び捨てにするような人は家に入れさせませんと言ってその友人を出入り禁止にしてしまった。その後もその友人との
親交がしばらく続き、やっとのことで大学に入れた時に、「これからは、たこちゃんと呼んでくれるね」と
言いたかったけど、とても恥ずかしくて言えなかったんだ。就職先が地元で不特定多数の人が出入りするところ
だったので、長屋に住んでいた人がたびたびやってきた。みんなは必ずぼくのことを、「たこちゃん」と呼んで
「おとうさん、おかあさんは元気かい」と言われたけどぼくは恥ずかしかったので、下を向いてもじもじしていたんだ。
ぼくは、「せめて呼び捨てでもいいから、名前を呼んで」と言いたかったけれど、ぼくの顔を見ると条件反射で
「たこちゃん」と言ってしまうようだった。最近は頭髪が薄くなって来たので、思い切ってスキンヘッドにしようかと
思ったりもするが、「たこちゃん、君もりっぱなたこになったね」と言われるのが嫌で二の足を踏んでいる。それに
スキンヘッドにすると、吹っ切れてしまうからなのか、言いたいことを率直に話す人が多い。近所の駅で客待ちを
しているスキンヘッドのタクシー運転手も、自分の側に商売敵の車がやってくると、「こらー、●ケー、そんなところ
に停めるな。●ホー」と突然大きな声で叫び出すんだ。それはポン菓子の爆発音に匹敵する程、ぼくをびっくりさせる。
思わず、「たこちゃん、やめて」とぼくは言いたくなるけど、あとが怖いのでやらないんだ。ぶつぶつぶつ......。