プチ小説「こんにちは、N先生 92」
私は週に3、4回懸賞に応募する小説を書くために母校立命館大学図書館に行ったり、月に3回クラリネットのレッスンを受けるためにJEUGIAミュージックサロン四条に通ったりしているため、7月に入ると阪急烏丸駅で流れる祇園囃子を聞くことになります。もちろん録音した笛太鼓の音なので生の音を聞くためには宵山の時に山鉾の近くで耳を澄まさなければなりませんが、50万人以上(昨年は80万人以上訪れたようです)が訪れるとされる宵山の日は電車が混み始める午後5時までには帰りの阪急電車に乗るようにしています。それでも今年はKBS京都が7月16日午後3時から5時に綾傘鉾前で祇園祭パークを開催して大人気の山崎弘士アナウンサーが番組を録音するということを聞き、午後3時前に室町通りを四条通りから南に下りました。私は鶏鉾の近くまで行きましたが、まだお昼なので祇園囃子は聞こえませんでした。山崎アナの番組が始まるまでまだ時間があったので、久しぶりに炎天下で営業している屋台の焼きそばを食べることにしました。私が焼きそばを購入して夜店の側で焼きそばを食べようとすると、君はさっきホーソンの『緋文字(ひもんじ)』を読み終えたんだろと声がかかりました。それはN先生でしたが、N先生は焼きそばを持っておられなかったので一緒に食べるわけにいかず私は、1.ちょっと待ってくださいと言って、焼きそばを一気食いする。2.鞄に入れているポリ袋に一旦入れて後でゆっくり食べる。のどちらにしようかと迷いました。そのことにN先生は気付かれたようで、笑顔で言われました。
「なあに気にすることはないさ。ぼくとの話は15分もすれば終わるよ。焼きそばも温かいままだよ」
うまい具合にお腹がグウと鳴ったのですが、N先生は気付かれませんでした。私は先生の前で失礼なことはできないと思って、出来立ての焼きそばをポリ袋に移し替えて何事もなかったように先生の方を向きました。
「『緋文字』は岩波文庫と新潮文庫が出ていますが、岩波文庫は完訳『緋文字』となっていて、税関『緋文字』への序章というのが付いています。ここのところを読まないと物語が理解できないのではと思い、母校の図書館で岩波文庫を借りて60ページほど「税関」を読んだのですが、主人公は職場で「古く黄色い羊皮紙にていねいにくるまれた小さな包み」を見つけ「遠い昔の公文書といった気配がこの包みにはあった」と感じます。そうしてその包みを開封すると「すり切れ、色あせた赤い布切れ」が入っていて「布切れには金糸で縁かがりがされた跡」があり、「この緋色の布はよく調べてみると、ある文字の形をしていた。それは大文字のAであった。」また公文書を「開いてみると、かの検査官の筆跡で、事件の全貌がかなり克明に記録されている」「へスター・ブリンなる女性の生涯とその人間関係の詳細であった。彼女が活動したのはマサチューセッツ植民地の初期から十七世紀末に至る期間であった。」ということが書かれています。確かにこれを読めば「緋文字」とは何なのかということがよくわかりますが、他のところは「税関」の仕事や主人公の周りであったことが書かれているだけで、正直言ってよく分かりませんでした。それに60ページもかけて「緋文字」のことを説明する必要があったのかなと思います」
「本文のところも、何だかすっきりしないところがあったんじゃないか」
「推理小説の犯人をバラしてしまうようで心苦しいのですが、最初の場面ではヒロインのへスター・ブリンが裁判で有罪となり、緋色のAが刺繡されたガウンを身につけ処刑台に上がらされ公衆の見物に供するという刑罰を受けます。私の感覚では処刑となるとまず連想するのは絞首刑なのですが、へスターの場合は「重い刑罰に打ちひしがれて」「さらし台から地面に身を投げ出してしまいたい」ほどつらい恥ずかしい思いをしたと言われますが、処刑台に乗せられて公衆にさらされるだけの刑罰(禁固刑もあったようですが詳細は不明)で肉体的な苦痛を伴うものではありません。何で刑罰を受けることになったかというと、既に婚姻関係があるのに別の男性と性行為をして赤ん坊をもうけた(姦淫)の罪を犯したとあります。法的な(届け出をした)婚姻関係があったと言われるロジャー・チリングワースがいるのに、他の男との間に私生児を作ったということです。へスターがどのようにしてチリングワースと知り合い結婚したのかが書かれておらず、もしかしたらチリングワースの罠にかかったのかなと思いましたがそういうことは書かれていません。そうしていきなりチリングワースとの婚姻関係があるのに若い牧師アーサー・ディムズデールと不貞を働いたと言っているのに首を傾げます。物語は最初にヘクターのさらし刑の場面があった後、これらの謎解きがへスターの愛娘パールの成長と共に描かれて行きますが、チリングワースのことが引っ掛かってお尻が落ち着きませんでした」
「チリングワースはへスターやアーサーから悪魔扱いされているが、へスターは彼と婚姻関係があったことを否定していない。だから精神的苦痛でやせ衰えたパールの父親アーサーと明るい未来を誓いあった後も、法律上はチリングワースと婚姻関係があるのでどこか引っ掛かる交際をそのまま続けることになる」
「パールも母親の意図を理解したのか、あるいは天界の人からの命令なのかアーサーとは一線を画しています。ぼくの考えが平凡すぎるのかもしれませんが、へスターとアーサーが以前のような親しい関係に戻せたのならパールもすぐに彼らの娘として可愛らしく振舞えばよいのに、アーサーがあんぐりと口を開けでパールを見ていたのだろうと思われるシーンがあります」
「パールがそれまで大切に育ててくれたへスターの間によく知らない男性が入って来ることを拒絶したかったというのもあるのだろう」
「こういった7才の子供までが複雑な動きをする『緋文字』はへスターもアーサーも衝動的な行動がしばしばでよく考えて行動しているのかなと思います。でも最も何を考えているかわからない人物はロジャーです。最初はアーサーの病気を治す医師(特効薬を処方する)として登場しますが快方に向かうことはなくアーサーの病状は悪化する一方です。そのことを咎められると突然ロジャーは悪人に変わります。それとこの物語をわかりにくくしているもう一つの原因は、「迷路の牧師」「緋文字の露呈」はアーサーが悩み抜いて最後に自分とへスターの秘密を告白して絶命するところで印象的ですが、それに続く「結び」のところがわかりにくく宙ぶらりんな感じがするからで最後はもう少しわかるように説明してと言いたいところです。そんなところがたくさんあるので本当に『緋文字』は完成された小説なのかと思ってしまいました」
「ホーソーンは1850年に『緋文字』を出版した。ホーソーンが亡くなったのは1964年だからこの小説が未完成だったとは言えないだろうが、始まりから結末までの動きが行ったり来たりするのでわかりにくい小説と言えるだろう。へスターとチリングワースとの結婚で始まり、へスターとアーサーとの恋愛があってこの小説の最初の場面が始まるのであればわかりやすかっただろう。でもあえてそうしないことでその間がどうだったかを読者に想像させた。それが成功して『緋文字』はわかりにくいところもあるけど、想像力が喚起させられるから何となく面白いとなったんじゃないかな」
「そうですね、可愛いけど突然大人のようなふるまいをするパールも際立っています。へスターやアーサーも好感が持てる人物なのでまた近いうちに読もうと思っています。そうすればもう少しこの小説のことが理解できるかもしれません」