プチ小説「こんにちは、N先生 93」
私は小学校、中学校、高校と平凡な成績だったため(高校は最低でしたが)、一緒に友人と勉強をしたとか試験の成績を競い合ったという経験はありません。では一体何をしていたのかというと勉強以外のことで興味のあることを少ない小遣いの許す範囲内でしたということになります。蝉取り、ヤンマ釣り、カミキリムシ取りなどの昆虫採集、切手収集を始めたのは小学生高学年の頃でしたから早くから収集癖があったのかもしれません。中学生になると深夜放送にどっぷりつかりお昼もFM放送で歌謡曲やフォークソングのような日本の音楽だけでなく、ポップスやイージーリスニングなどを聞きました。そうしてどうしても手元に置いておきたい曲はドーナツ盤を買いました。中学2年生になると映画に興味を持ち、アクション映画をたくさん見ました。「燃えよドラゴン」「ダーティハリー」なんかは再放送があると今でも見ます。高校生になるとそれまで読んでいた漫画をやめて小説を読むようになりました。テレビで放映される映画と同様に文庫本はお金がかからない趣味として当時の私にぴったりだったからです。漫画を1冊読むのに1時間とかかりませんが、遅読の私は薄い文庫本を1冊読むのに3、4時間かかったので経済的にも助かったのです。その時に世界の文学を読んでいたら良かったのですが、世界の文学に浸るのは浪人になってからで高校生の時は井上ひさし、星新一ばかりを読んでいたのでした。高校の時は入学してすぐに写真部に入ると決めたので他のクラブのことを考えませんでしたが、今思うと天文研究会(天文部)や文芸部に席を置いていたら一芸に秀でた人との出会いがあり、コメット・ハンターや懸賞小説投稿マニアになっていたのかもしれません。そんなことを考えながらドエル富田店でケーキをどれにしようかショウケースを見ていると後ろで、君はさっき、『高校殺人事件』を読んだようだがどうだったかと声がしました。
「ああ、N先生、先生もここでケーキを買われるんですか」
「そりゃあ、高槻の有名店なんだから、高槻市民としては押さえておかないといけないと思うからね」
私はいつからN先生が高槻市民になられたのかと訝りましたが、細かいことはいいませんでした。
「そうですね、高槻駅前のデパート地下街でもう少しお金を出せばより美味しいケーキが食べられますが、400円程で美味しいケーキが食べられるのでここによく来ます。でも最近ただのモンブランがなくて抹茶モンブランと渋皮入りモンブランしかないのが不満なんです」
「それで今日はどんなケーキを買ったんだい」
「いつものようにラム酒が入った18禁のケーキ、それからカシスが入ってほんのり甘いローズピンク色のケーキそれからチョコレートケーキですね。帰って母親と食べます。先生は何を買われるんですか」
「ケーキだと日持ちしないから、マドレーヌとかレモンケーキを買おうかなと思ってる」
「ところで『高校殺人事件』というのはちょっと恥ずかしいタイトルなので、原題の『赤い月』というタイトルで話を進めていいですか」
「そうだね、この小説が1959年11月から高校生向けの月刊誌に『赤い月』というタイトルで連載されたということで『高校殺人事件』となっているが、殺人が起きたのは高校の中でなくお寺の境内やその付属施設あるいは近くの林の中だ。それから被害者の中に高校生も先生もいるが、一般の人もいるからね」
「ぼくは最初ネットでこの小説のタイトルを見て変なタイトルだなあと思ったのですが、中味は普通の推理小説でした」
「この小説の主人公羽島謙は高校生だし、いとこの羽島さち子は名探偵の高校生だ。確かにタイトルはへんてこりんだが、高校生に興味を持たせるためには秀逸な方法だと思うな。有名な作家H氏が高校生の頃にこの作品を読んで初めて推理小説に興味を持ったという話もあるし」
「高校生にも興味を持ってもらうために学園ものの、青春推理小説というかたちで書かれたということですね。そのため文章が平易でわかりやすいです。この本は1961年に出版されたということで1975年から1978年の頃に高校生だったぼくも興味があれば読んでいただろう作品と言えます」
「もしその時に『高校殺人事件』を読んでいたら、推理小説ファンになったり、自分で推理小説を書いたりしていたかもしれないね」
「ぼくの場合、主人公のキャラ次第というところがあり、ディケンズの長編小説が好きになったのは、ピクウィック氏、オリヴァー、デイヴィッド、エスタ、アーサー、カーソン、ピップなどの好感が持てる主人公が物語を楽しませてくれたからなのですが、羽島謙と羽島とも子は普通の高校生とあまり変わらないのでこの本を読み終えて推理小説ファンになったり小説を自分で書いてみたりすることはなかったと思います。キャラとして目立っているのは最初のところで殺されてしまう詩人高校生のノッポこと小西重介ですが、ぼくの好みのキャラではなさそうです」
「羽島とも子が夏休みの終わりに親戚の羽島謙の家にやって来て、事件のことを謙から聞いて謎解きのための調査を始めるんだが、とも子の指示で謙が友人たちと中村先生の宿題と言って郷土館の測量を始めると犯人が慌て出し仲間割れがあって一番悪いやつが殺され事件が解決してしまう。そうしてもしかしたら首謀者なのではと思っていた人はいい人だったというおまけもついている」
「羽島をはじめ高校生は今の高校生と変わりないですが、享光院住職倉田春恵、岩村国夫、横武龍一、ノッポの前に殺された35、6才の男は以前軍隊で主従関係にあったということになっています。この小説にはいろんな人が登場しますが、本当の悪人と言うのは体格が良くて気が短くて暴力的でそして猜疑心が強い岩村国夫だけという気がします。自分の生徒が殺された原因を調査していた中村先生が殺されたのは本当に気の毒ですが、倉田住職も気の毒な気がします。これは岩村国夫が軍隊にいる時に犯した悪事に端を発しているのですが、第二次世界大戦の退役軍人が犯罪を犯すというのは松本清張の推理小説によく見られます。そういうところは少年少女のために書かれた青春推理小説だけで終わっていないと思います」
「君は松本清張の小説を早く読んだと自慢するが、この小説はどのくらいかかった」
「1日と2時間ほどです。時間にすると8時間ほどでしょうか。楽しく読ませてもらいました」