プチ小説「こんにちはディケンズ先生58」

アユミとアユミの夫が小川の家にやって来たのは、初秋のさわやかな風が吹き始めた頃だった。
「もう引っ越しをして2ヶ月になるけど、博多の生活には慣れたの」
「違うわよ、秋子、私たちがいるのは北九州市の小倉よ。電車で1時間程離れているし。
 私たちも秋子と同じように小倉も博多も同じようなものと考えていたけれど、住んでみると
 少し考え方を改めないとと思ったわ。でもとりあえずは、とんこつラーメンと屋台は博多で、
 ぬかだきで有名な旦過市場は小倉にあると覚えればいいと思うわ」
「さすが、美食家のアユミさんだわ...」
「というより、B級グルメファンだと思うが...」
「誰か何か言いましたか。言いたいことがあるのなら、もう一度大きな声で言いなさい」
「それでは、アユミさんは、日本一の...」
「日本一の...」
「武闘派グルメです」
「......」
「アユミ、なかなか小川さん上手いこと言うじゃないか。お前、ぶどうが好きなんだろ」
「......」
「まあ、それより、生姜煎餅を買って来たから、みんなで食べましょう。アユミさん、お好きなんでしょう。
 おみやげにも買っておいたわ」
「わたしは...、わたしはこれからは心を入れかえてみんなの前で大人しくしようと思っていたのに...。
 でも、やーめた、今まで通りで行くから。路線変更は決してしないわ」
そう言って、一袋4枚入りの生姜煎餅を握りつぶすと、外へと行ってしまった。

その晩は、アユミの夫が九州へと帰って行き、秋子とアユミが和室で寝ることになったので、小川は久しぶりに
書斎がある洋間で寝ることにした。小川が横になってしばらくすると夢の中にディケンズ先生が現れた。
「小川君、君は本当に怖いもの知らずだね。何度も怖い目に遭っているのに。多分、まだ痛い目に遭っていないから
 余裕があるんだろう。でも、君もアユミさんのパンチやキックを浴びたら、考えを改めるだろう」
「先生、アユミさんが友人の夫であるぼくに暴力を振るうその必然性を見い出すことはできないのですが...」
「何を言ってるんだ。アユミさんのようにストレートに感情を出す人は自制できない場合がしばしばあるんだ。
 それに災難は意識していれば回避できるものではないんだよ。火を点けてしまったら、どこかで消し止めて
 おかないと突然襲いかかって来る。初期対応の遅れが、大きな災いに繋がるんだ」
「そうですか、それなら、明日起きたらすぐにアユミさんに謝ります」