プチ小説「西洋文学の四方山話 宇宙人編 1」
福居は先週は4回母校立命館大学の図書館に行くことが出来たが今週はどうかなと思って阪急富田駅の京都方面行きのホームに上がると、ベンチでM29800星雲からやって来た宇宙人がハードカヴァーの本を読んでいるのが見えた。福居は、おはようございます。今日は何を読まれているのですかと尋ねると宇宙人は答えた。
「ハナシガハヤイトオモッテネ、コウイウノヲモッテキタンヨ」
宇宙人が見せたのは、集英社世界文学全集第7巻の『ウェルギリウスの死』だった。
「そうです、この本は大学3回生の頃、1、2回生の時にドイツ語を習った先生と帰りの市バスでお話を聞いた時に推薦していただいた本でこの有意義な時間を過ごしたおかげでその後いろいろな本との出会いがあったのです。おっしゃるとおり、思い出深い本です」」
「アンタハソレマデ、シンチョウブンコトカイワナミブンコシカヨマンカッタンヤネ」
「貧乏学生でしたから、文庫本しか買えなかったんです。それでも文庫本の西洋文学は他の学生よりたくさん読んでいました。ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』『クリスマス・カロル』(以上新潮文庫)『オリヴァー・トゥイスト』(講談社文庫)を読み終えて、他のディケンズの作品を読みたいと思って、小池滋訳『リトル・ドリット』を大学生協で購入したところでした。そのドイツ語の先生から教えていただいた『ウェルギリウスの死』も張り切って購入した『リトル・ドリット』も携帯に不便ということで、50才を過ぎるまで読もうとしませんでした」
「キットヨムノヲケツダンスルタメニハソウトウナコトガアッタンヤロネ」
「18年程前に通勤の時に通る堤防の治安が悪くなって(高校生が数人タバコをふかして歩いていました)30分早く家を出るようにしましたが、どうせなら1時間早く家を出て喫茶店で西洋文学を読もうと思いました。そうして最初に読んだのが、23年程本棚に置かれたままになっていた『リトル・ドリット』でした。最初からすべてが理解できたわけではありませんが、小池滋氏の訳に魅かれて、『荒涼館』『バーナビー・ラッジ』それから未完の『エドウィン・ドルードの謎』を購入しました。その後に本屋をぶらぶらしているとちくま文庫から、『ピクウィック・クラブ』『骨董屋』『マーティン・チャズルウィット』(以上北川悌二訳)『我らが共通の友』(間二郎訳)出版されているのを見つけすべて読みました。そうしてディケンズ・ファンになり、ディケンズの著作を紹介する小説『こんにちは、ディケンズ先生』を出版したのでした」
「ウェルギリウスノシノホウハドウナッタン」
「ドイツ語の先生は『ウェルギリウスの死』の著者ブロッホのファンというわけではなく、意識の流れの文学のファンのようでした。まるで風景写真を見るように人間の心の中の風景を活字にしてみせる小説家はすばらしいと絶賛されていて、ブルッフ、ウルフ、ジョイスを読んだらいいと言われました。特にスターンがお好きで筑摩書房の世界文学大系第76巻を私に手渡されて、スターンの『トリストラム・シャンディ』はおもしろいよと言われたのでした。1ぺーじが塗りつぶされたり、マーブルペーパーだったり矢印だらけだったりして度肝を抜かれたことを覚えています(ただし黒く塗りつぶしたりべージ全体がマーブルペーパーなのは岩波文庫)。ドイツ語の先生は『ウェルギリウスの死』よりも『トリストラム・シャンディ』を読んでほしいようでしたが、岩波文庫は廃刊になっていて古本屋で入手する手立てを習得していなかった私は先生に、文庫本でないと読めませんと言っただけでした。ブロッホのことを詳しく教えていただいたのは、2009年頃から行くようになった風光書房の店主からでした。『ウェルギリウスの死』のことを詳しく教えていただいて売っていただき、ブロッホの『誘惑者』も購入したのでした。700ページ以上もある『夢遊の人々』携帯に不便なので風光書房で購入しませんでしたが、母校の図書館にちくま文庫の2巻本がありましたので今年一応全部読みました」
「イチオウトハドウイウコトヤネン」
「「価値の崩壊」というチャプターがしばしば現れるのですが、哲学を熟知していなければ読めません。ですからすべてを理解することは諦めました。それでも物語の筋は理解できたので一応最後までページをめくることはできたのです。『誘惑者』は理解できましたが、ブロッホ自身が完成した小説と見なしていないようなので感想文は書いていません。ウルフの『灯台へ』は2、3回読みましたが小説の内容がどうなのかわかりませんでした。ジョイスは文体(翻訳の仕方)が凝りすぎていて内容が理解できないので、最後まで読むのを諦めました。『フィネガンズ・ウィーク』はさらに難解で購入しませんでした」
「ツンドクダケヤッタラ、モッタイモンネ」
「『ウェルギリウスの死』は内容が素晴らしいので意識の流れの文学の最高峰だと思いますが、もう一度読もうと思ってもおいそれとはいきません。ほとんど段落がなくどのページも活字が一杯だからです。ページが変わって段落が変わったら、しおりを挟んで一旦読み終えるということがなかなかできないのです。11ぺーじ段落なしというのが2箇所あり、18ページ段落なしと言うのが1箇所ありました。それでもこの本を読んでからは、地の文を長々と書くことが苦にならなくなりましたから、長文を読むことはそういう御利益もあるんだなと思うようになりました」
「エエホンヲヨンデソレガアンタノタメニナルンナラドンドンドシドシヨンダラヨロシ」
「そういうことですよね」
「ソウヤガナ」