プチ小説「西洋文学の四方山話 宇宙人編 3」
福居は先週久しぶりに立命館大学校内の西側広場で鶏肉塩だれ焼き弁当を食べることができたが今週は味噌トンカツ弁当が食べたいなと思って阪急電車の京都方面行きのホームに上がると、ベンチでM29800星雲からやって来た宇宙人が茶色の文庫本を読んでいるのが見えた。福居が、おはようございます、今日は何を読まれているのですかと尋ねると宇宙人は答えた。
「ハナシガハヤイトオモッテネ、コウイウホンヲモッテキタノヨ」
宇宙人が見せたのは、茶色の装丁でエッチング版画が表紙の本だった。
「ああ、それは10年程前まで書店で販売していたディケンズの小説の新潮文庫ですね。翻訳は『デイヴィッド・コパフィールド』と『二都物語』が中野好夫氏、『大いなる遺産』が山西英一氏、『クリスマス・カロル』が村岡花子氏だったのですが、今はディケンズの新潮文庫は加賀山卓朗訳の『二都物語』『大いなる遺産』『オリヴァー・ツイスト』になっています。私は『大いなる遺産』は山西訳、加賀山訳の他、佐々木徹訳、日高八郎訳、石塚裕子訳を持っています。どの翻訳もすばらしいですが、特に山西訳は最初に読んだ翻訳で4回繰り返し読んだので愛着があります。『デイヴィッド・コパフィールド』は石塚訳(岩波文庫)もありますが、こちらも4回既に読んでいるので中野訳の方に愛着があります」
「クリカエシヨムトアイチャクガワクンヤネ。リカイモフカマルノトチャウン」
「そうですね、他の作家の繰り返し読んだ小説はユゴーの『レ・ミゼラブル』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』、フィールディングの『トム・ジョウンズ』、モームの『人間の絆』、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』、オースティンの『自負と偏見』ですが、ディケンズの小説で2回以上読んだのは、『ピクウィック・クラブ』(北川悌二訳)、『オリヴァー・トゥイスト』(小池滋訳)、『ニコラス・ニクルビー』(田辺洋子訳)、『バーナビー・ラッジ』(小池滋訳)、『ドンビー父子』(田辺洋子訳)、『荒涼館』(青木雄造・小池滋訳)『荒涼館』(佐々木徹訳)、『ハード・タイムズ』(田中孝信他訳)、『リトル・ドリット』(小池滋訳)、『我らが共通の友』(間二郎訳)です」
「『オオイナルイサン』ハゴウケイシタラナンカイニナルノカナ」
「山西訳4回、加賀山訳1回、石塚訳1回、佐々木訳2回、日高訳3回で合計11回です」
「オナジショウセツヲソンナニナンドモヨマンデモエエントチャウン」
「いえいえ、ディケンズの小説はぼくの活力源ですから長い間読まないとおかしくなるのです」
「ハハハハハトワラッテシマウンカ」
「そうではなくて、人が信じられなくなるとかです。フィクションであっても登場人物の間に信頼関係があるかどうかは大きな問題です。そうしてその登場人物に良い印象を持って最後まで読めると信じられる登場人物がいるのはいいなと安心して、明日も頑張ろうとなるのです」
「ダレトダレガソウユウカンケイヤノン」
「『大いなる遺産』のピップとジョーが一番心に残ります。ピップとハーバートの関係も紆余曲折がありますがいい感じです。『ピクウィック・クラブ』ではピクウィック氏とウェラーでしょう。『デイヴィッド・コパフィールド』ではデイヴィッドとトラドルズ、『リトル・ドリット』ではアーサーとダニエル・ドイス、『二都物語』ではルーシーとシドニー・カートンでしょうか。『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンも『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスも『トム・ジョウンズ』のトムも『人間の絆』のフィリップも孤軍奮闘という感じですが、ディケンズの小説では友人に助けられることによって危機を脱したり魂が救済されるという場面があります。そういう感動的な場面があるから、ディケンズの作品はすばらしいのだと思います」
「ワシ、ジョーガダイスキヤネン。ソレカラトラドルズヤダニエル・ドイスモ。カレラガアラワレルトヨンデテヨカッタワトナルヤンネ」
「ぼくもそうです。ほっとさせる人物としては、『オリヴァー・ツイスト』のブラウンロウだけでなくグリムウィッグもいい感じです。『ニコラス・ニクルビー』のチアリブル兄弟も主人公ニコラスの力になってくれます」
「チュウヘンノ『クリスマス・キャロル』デハモトドウリョウノマーレーノユウレイト3ニンノユウレイガスクルージトタイワシテゼンニンニナルヨウニユウドウシヨルケド、4ニントモユーモラスデキョウフエイガノヨウナユウレイデハナイトコロハアリガタイネ」
「ディケンズは自分が書いた小説を読んでもらうことで読者と登場人物との間で友人のような関係が作り出せると考えたのではないでしょうか。そうして誠実な登場人物と友人関係が出来たと思った読者は幸福な気分や悔しいやるせない気持ちを登場人物と共有することでさらに関係が深まって行くと考えたのだと思います。そうしてディケンズの小説を読むことでそういう幸福な時間を共有できることがわかった人は、人生のどこかでふと不安になった時にディケンズの小説を読み返して癒そうと考えるのだと思います」
「ソウナンヤネ」