プチ小説「こんにちは、N先生 96」

私は一昨年の7月末でそれまで勤めていた医療機関を辞めたので、吹田市内に行くことはなくなりました。それで行かなくなったことで2つ物足りなくなったことがあります。一つはクラリネットを練習するためのスタジオ STUDIO YOU に行くことで、その代わりにレッスン前にJEUGIAミュージックサロン四条でスタジオを借りてするようになったのですが家から片道1時間以上かけて出掛けていく必要がなくなりかえって良かったのかなと思っています。もう一つは私が小学校の頃からその前を通ると恐れおののくものがあり、それを見ることがなくなったことです。JR吹田駅前の商店街を歩いていると目につくのですが、理容室の客寄せのディスプレイのインパクトがとにかく凄いのです。中年男性の首から上だけがUFOキャッチャーのようなショウケースの中でくるくるっと回っているのです。あまりに恐ろしいのでじっと見たことはありませんが、マネキンか理容師さんが修行のために使う毛の生えた頭だと思うのです。小学一年生か二年生の時だったでしょうか、お年玉をもらって当時その理髪室(アサヒ理容店本店)の隣にあったおもちゃ屋さんに行く時に初めて見たのです。その時の私は今のように腹が据わっていなかったものですから、あとで夢でうなされたことを覚えています。その時のことがトラウマになって私は今でもそういったシーンはなるべく見ないようにしています。といってもテレビや本で偶然そういった画像を目にすることはよくあります。ホラー映画などではよくあるシーンですが、「〇ーメン」「エ〇リアン」は特に生々しくて嫌いです。また歴史映画の「王妃マルゴ」にもそんな残酷なシーンがあります。それから「パピヨン」にはギロチン刑のシーンがありました。フランスではギロチンが古くから死刑で使用されていましたが、1977年に廃止になりフランスでは今は死刑もなくなり最高刑は終身刑のようです。元々、首は悲劇で小道具としてよく使われていたようで、有名なシェイクスピアの『マクベス』、ワイルドの『サロメ』はオペラにもなっていますが、生首が出て来るというだけで私は引いてしまいます。それでもアサヒ理容店本店の生首?(マネキンの頭部または理容師さんの練習道具)は60年以上前のものなので変色していて一時代も二時代も前の髪型の男性の頭部で少し哀愁があるので時々見たくなります。そう思った私は2年2ヶ月ぶりにJR吹田駅で下車してアサヒ理容店本店に直行しようとしましたが、途中にある〇クドナルドの前でN先生に呼び止められました。
「君は昨日スタンダールの『赤と黒』を読み終えたようだが、どうだった」
「私は今から44年前に予備校に通っている時に予備校の英語の先生から『赤と黒』は面白い小説だと言われました。それでいつかは読んでみたいと思っていました」
「その先生は、どんなところが面白かったと言っていたのかな」
「内容のことは一切言われずに、とにかく面白くて読むことがやめられなくなり、旅行から帰って来た両親にクマができているのを咎められたと言われました」
「そうか、具体的にその小説の内容が語られなくてもとにかく面白い小説だということを伝えるにはいい表現だと思うね。で、内容について君はどう思ったのかな」
「あまりにいろいろな出来事がこの小説の中で起きるのでこの短い対話ですべてを説明するのは難しいのですが、この小説の中で一貫して漂っている主人公の自尊心、そうして最後の場面を耽美主義の小説かと思わせるような、ボニファス・ド・ラ・モールの話の挿入による緊張感(恐怖感)の2つは他の小説にない特徴だと思います」
「主人公ジュリアン・ソレルは地道に勉強して神学を極めて行くが、教養小説だけでは終わらない」
「そうですね、この小説は悲劇的結末で終わる恋愛小説ですが、もし主人公の自尊心がものすごいものでなければ耽美主義を思わせるエンディングにならなかったと思います」
「まあそんなに急がなくてもいいから、順番に要所を押さえて行こう。ジュリアンは学業を終えて町長レナール氏の家で住み込みで働くようになるが、そこに美しいレナール夫人がいてジュリアンは虜になってしまう。最初は穏やかなものだったが、やがてエスカレートして」
「一晩一緒に過ごすだけでなく、夜中に行くぞと予告してレナール夫人の寝室に忍び込んだりします。そうして主人公は神学を更に学ぶために上の神学校に行った後もレナール夫人のことを思い続け、優秀な成績で卒業して有力な貴族の元で働くことになった後もレナール夫人のことを思い続けます」
「その貴族ラ・モール侯爵にジュリアンはホラティウスやウェルギリウスの著書を丸暗記したものを聞かせて信用を得るが、侯爵には息子ノルベール伯爵と娘のマチルドがいる。ジュリアンはマチルドの美しさに一目惚れして一所懸命に気を引こうとするが、まったく相手にされない」
「しかしたまたま知り合ったロシア人コラゾフから難攻不落の女性の攻略法を教わり、ジュリアンはマチルダを無視して元帥夫人に手紙をせっせと出します」
「53通もの手紙の文例まで用意してコラゾフは親切な人物だったね」
「そうしてマチルダの気を引くことに成功してマチルダを自分のものにするのですが、ここから最後に掛けて2つの場面が欠落しているように私は思うのです」
「さあ、ぼくは死刑の場面はないほうがいいと思うけどあった方がよかったのかな」
「死刑執行の場面は必要ないと思いますが、その直前の主人公の苦悩はあったほうが良かったと思います。最後の1ページのところで主人公は口頭で親友のフーケに死刑執行の後のことについて依頼しますがそれが済むとすぐにジュリアンの遺体が大きな青い外套にくるまれて登場します」
「うーん、確かに苦悩は見られなかったね。もう一つは何かな」
「主人公とマチルドは激しい恋愛感情を持ちながらもそれを完全燃焼できないでいましたが、マチルドは主人公の自分に対してのそっけない態度と元帥夫人に対しての恋愛を意識するような態度から失いたくないという気持ちになります。そうして主人公はマチルドの心を奪うことに成功しますが、熱い思いが燃焼するところや裸のつき合いはなく突然マチルダは妊娠してしまいます(集英社版世界文学全集353ページ)」
「そうだね、そういうシーンも恋愛小説のひとつの楽しみだから、おあずけを食った君の気持はよくわかるよ」
「そうした不完全燃焼な点、未完成じゃないかと思わせるところがありますが、私が一番気になったのは、主人公がレナール夫人に出世を妨げられて逆上して拳銃で狙撃して夫人は一命を取り留めますが、なぜ殺人が未遂になったのに評決で有罪となり極刑が言い渡されたかです。ボニファスさんと関連づけるならギロチン刑は必須となるのでしょうが、被害者であるレナール夫人がすぐに社会復帰してしかも処刑寸前の主人公に会いに来るんですから、例え主人公が希望したと言っても極刑までは行かないじゃないかと思うんですが」
「陪審員制度というのはわかりにくいところがあるからね」
「でも、私は、ひとりの殺人では死刑にならないと認識しています。殺人未遂罪の刑は死刑または無期もしくは5年以上の懲役となっていますが、新聞なんかで私が知っているところでは未遂で死刑はありえないと思っています」
「でも陪審員がみんな主人公やマチルドの敵だったのだから、評決で有罪となる可能性はある。そこは意外性のあるスタンダールの練られた濃い内容の小説と言えるんじゃないのかな」
「そうかもしれません。とにかくレナール夫人が主人公に狙撃されたところから物語は急展開します。きっとここらあたりから幼い頃の予備校の先生は読書を止められなくなったのだと思います」
「秋の夜長にそういう小説に巡り合えるといいね」

※ 残念ながら、理髪店のオブジェはなくなっています。