プチ小説「こんにちは、N先生 97」

私は、1981年4月から1985年2月まで北摂から立命館大学衣笠学舎まで通学していました。法学部の学生でしたが、法律の勉強はそれほどしませんでした。その代わりに、物になりませんでしたが英語、ドイツ語、スペイン語の予習に時間を掛けていました。英語、ドイツ語は必須科目で落としたら大変なことになると、一所懸命予習をしたのでした。またスペイン語を学んだのはラテン語系の言語(フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ブラジル語など)で一番やさしく他のラテン系の言語を学ぶ足掛かりになるし中南米(メキシコ、アルゼンチン、チリ、ベネズエラ、パラグアイ、キューバ)ではスペイン語が公用語となっているということからでした。少し前はエスペラント語というのが流行った時期がありましたが、それは1980年代になると跡形もなくなくなっていました。ドイツ語もスペイン語も将来オペラを鑑賞する時に役立つだろうと思って私なりに頑張ったのですが、ドイツ語が好きになったのはN先生との出会いのおかげだと今でも思っています。N先生は私が1回生の時にドイツ語のリーダーと文法(ⅠとⅡ)を2回生の時にドイツ語Ⅲを教えてくださったのでした。2回生の秋に大学から帰りのバスを待っていた時にN先生とお会いして好印象を持っていただいたからか、しばしば先生から私に声が掛かるようになりました。また衣笠のバス停(当時 今は立命館大学前)でバスを待っていて、先生とお会いし先生が当時下宿されていた千本中立売までご一緒することもありました。先生はドイツ語の先生をされていて、ドイツのハイデルベルク大学だったかに留学されたことがありましたが、ご専門はギリシア史で京都大学の大学院で博士号を取られていたようでした。ここのところは直接先生から取得について聞いたわけではないので断言はできないのですが、数冊ギリシア史の本を出版されているので間違いないと思います。N先生とは卒業してからもしばらく手紙でのやり取りがあったのですが、なかなか時間が取れず年賀状での近況報告もなくなりました。そうしてN先生ととお話することはなくなったのですが、40代後半になって西洋文学のハードカバーを読み始めると母校の図書館に行ってみたくなり、懐かしい図書館をうろうろした後で衣笠のバス停に行くとN先生がおられたのでした。私は髪がほとんどなくなり肥満体になって学生時代の面影は跡形もなくなくなっていましたが、N先生は私より一回り以上お年が上のはずなのにまったく変わられていませんでした。きっと私が若い頃にお会いしたN先生の記憶が焼き付いているので、話している最中は実際に対面して話している先生よりたくさん昔の印象が湧いてくるのでしょう。再開後もN先生はしばしば私の前に出現されて、以前と同様にためになる話を話されたり、私が読み終えた文学作品についてコメントされたりしたのでした。私は今ホメロスの『オデュッセイア』(呉茂一訳 集英社版世界文学全集1)を読んでいるところなので、いつもは読み終えてから出現されるのですが、もしかしたら今回はもう少し早い時期に声を掛けられるのではないかと期待していました。予想通り、オデュッセウスが船の乗組員たちと共にキュプロクス人たちから命からがら逃れましたがポセイドンから恨みを買ったというところで、先生は立命館大学前でバスを待つ私の前に出現されました。
「君もようやく『オデュッセイア』を読み始めたんだね。面白いだろ」
「まだすべてを読んだわけではないので少しのことしか話せないのですが」
「君は以前ギリシア悲劇全集を読んでいるし、トロイ戦争の映画をいくつか見ている。大学受験の時に世界史を選択しているし、そのあたりのことをフル稼働させてこの対話を進めるといい」
「わかりました。まずホメロスについてですが、彼は『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者ですが、大昔の作者ですので両方彼が著したのか、またそもそもホメロスと言う人が実在したのかどうか不明というのが一般的です」
「まあね、でも紀元前8世紀にホメロスが生きていたと考えないと何も始まらないね」
「また『イーリアス』とはトロイのことでトロイ戦争を歌った叙事詩と言われています。映画で言うならブラット・ピットがアキレウスの役で主演した「トロイ」がそれにあたるのですが、アキレウスは神様と言われているのにトロイ戦争が終わった後にパリスに殺されます。神様なのになんでかなと思います。ギリシャ神話は神様の話だと思いますが、ギリシャ神話、ギリシア悲劇には神様と人間が混然となって登場して誰が神様なのと言いたくなります」
「まあそこを追求しても始まらないだろう。神様と書かれていたら、ああ、この人は神様なんだと思って読み進めるといい。なお、アキレウスは不死の水に入れられたが、アキレス腱の部分が浸らず、そこをパリスに攻撃されて亡くなった。アキレウスはアカイア人(ギリシア人)の勝利に貢献したが、オデュッセウスも貢献したけど何でしたかわかるかな」
「トロイの木馬を考案したのでしたね。この作戦を立てたとしてトロイ人の恨みを買ったのかなと思いますが、そこのところは今のところ『オデュッセイア』では見られません。とにかくオデュッセウスはトロイ戦争で功績を上げて英雄として故郷イタケーに錦を飾るところだったのが、嵐に遭って船が流されてしまいます。そうしてオデュッセウスの長い(ほぼ10年)航海が始まります」
「『オデュッセイア』の最初のところはオデュッセウスがトロイ戦争が終わって故郷イタケーに帰途に着くところから始まっていない、オデュッセウスが行き詰っているのを知った女神アテーネーがオデュッセウスの家族ペネロペイアとテレマコスを気の毒に思って、テレマコスの航海を助けるところから始まっている。ペネロペイアはオデュッセウスが戦死したと騙して妻にしようとする求婚者たちにたかられていた。求婚者たちはオデュッセウスの財産で饗宴を開催して食いつぶしていた。テレマコスは父親が帰らないとどうにもならないとオデュッセウスを捜すための長い旅に出る。ところでアニメ映画で「風の谷のナウシカ」というのがあるが、ナウシカアーが『オデュッセイア』第6巻に登場しただろ」
「恥ずかしながら、映画を通して見たことがないのでナウシカとナウシカアーが似たところがあるのかわかりません。『オデュッセイア』を読み終えたら、映画を見ようと思っています」
「そうするといい。ところで話は遡るけど、トロイ戦争、紀元前13世紀から12世紀と言われている、が始まったきっかけは何だったかな」
「それはトロイの王子パリスがスパルタ王メネラオスの妻ヘレネーを連れ去ったことから、メラネオスが兄のミュケーナイ王アガメムノンに協力を求めて遠征軍を送ることになるというのが発端でした。大軍勢で一気にトロイを滅ぼすのが、逆風が吹いて船が出せず生贄の話が出て来たりします」
「生贄になったのはミュケーナイの王女イピゲネイアだが、その父アガメムノンは妻クリュタイムネストラとその情夫アイギストスに殺されてこのあたりのことが悲劇になっている」
「アイスキュロスもそうですが、エウリピデスがたくさんの悲劇を書いています。暗殺されたアガメムノンの仇を息子のオレステスがうつ劇もエウリピデスが書いています」
「ソフォクレスを加えたのがギリシャ悲劇の三大悲劇詩人と言われているが、「ギリシア悲劇全集」(人文書院)を読むとよくわかる」
「私もそれを3年程前に読みましたが、わからない神様や人の名が出て来てあまり理解できていないと思います」
「そりゃー、最初はわからないことだらけさ。それでも劇や英雄叙事詩を読み返したり歴史の本を呼んだりすると理解が深まる。『オデュッセイア』はその取っ掛かりに持ってこいだ。トロイ戦争、ギリシア悲劇、ギリシア史のエッセンスが持ち込まれた好著と言っていい」
「私も『オデュッセイア』を1回と言わず何回も読んで先生のようにギリシア文学を楽しめたらと思います」
「そうだね、これからは君もイギリス文学、フランス文学だけでなくギリシア文学も楽しむといいね」