プチ小説「こんにちは、N先生 98」
私は幼い頃に世界文学全集に触れた(全部を通して読むだけの読書力は残念ながらありませんでした)たためか、浪人生の頃から西洋文学に興味を持ち始めました。有難いことにその頃読んだ、モリエール、ディケンズ、モームは世界を広げてくれましたし、大学生の頃に読んだユゴー、アレクサンドル・デュマ、オースティン、フィールディングはワクワクしながらページをめくるという楽しみを私に与えてくれました。母親が書店のパート店員だったため、日本文学全集も30冊ほど買ってくれたのですが、最初のところに登場人物の紹介があって読みやすかった世界文学全集と違って登場人物紹介のない日本文学全集の方はページをめくることはありませんでした。それと日本文学全集となると古事記、日本書紀から始まり平家物語、源氏物語、江戸時代の戯作などが主だったところですが、烏帽子やちょんまげ頭の人が小説(物語)の登場人物として出て来るという想像がしにくく、たとえ交通手段が馬車くらいしかない時代であってもズボンやスカートをはいた人たちが躍動する物語の方(西洋文学)がしっくりくるからと選択して読むことにしたのでした。それでもイギリス文学で言うとフィールディング(18世紀中頃)やオースティン(19世紀初頭)の時代が限界で「ロビンソン・クルーソー」(18世紀初頭)や「ガリヴァー旅行記」((18世紀前半)となると足(手?)がすくんでしまうのでした。それでもモリエールは17世紀半ばに活躍した劇作家なので自分でも言っていることが少し矛盾しているかなと思います。とにかく18世紀以降の面白そうな英仏独の文学を楽しんで来た私にとって大学生の時に親切にご指導いただいたN先生との出会いは人生の貴重な経験になりました。先生は私の生煮えの知識を笑顔で受け止めて下さり時には正して下さり、しかも私が興味を持ちそうな図書の情報を提供してくださったのでした。先生との出会いがなければ新潮文庫と岩波文庫の西洋文学の興味のあるものだけを読んで終わっていたと思います。先生はモリエールの話はされなかったもののディケンズやモームについて話して下さり、スターン『トリストラム・シャンディ』、リチャードソン『パミラ』、ブロッホ『ウェルギリウスの死』、ケラー『緑のハインリヒ』、ホメロス『イーリアス』『オデュッセイア』を読んでみたらと教えてくださったのでした。先生から教えていただいた図書はほとんど読んだのですが、ただホメロスだけはなかなか読みませんでした。ホメロスが活躍した時代が紀元前8世紀末でその頃の風景を思い浮かべることが難しかったからです。交通手段が馬車と馬くらいはわかりますが、一般の人の家がどんなんだったか、どんなものを食べていたのか、大理石の彫刻のようなゆったりふんわりした衣装を男女とも身につけていたかなどは皆目思い浮かびませんでした。頭髪は江戸時代以前の日本のように烏帽子を被ったりちょんまげを結ったりすることはなく普通の髪型だった(大理石像はそうなっています)のでその点はとっつきやすいのですが、生活がどんなんだったか全くわからないので別世界の出来事のようで感情移入が不可能でした。とは言え、前から読みたかった『緋文字』『風と共に去りぬ』『赤と黒』を読み終えた私は西洋文学で読みたい小説がなくなって来ました。トルストイ『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、フローベル『ボヴァリー夫人』、ダンテ『神曲』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』は名作と言われていますが興味が持てないですし、ヘミングウェイやスタインベックなどのアメリカ文学は性に合わない気がします。それでいよいよホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』を読むことにしたのですが、一般的に『オデュッセイア』の方が読みやすいと言われているので、先に『オデュッセイア』を読むことにしました。先に『ギリシア悲劇全集』(人文書院)を読んだので、アガメムノンやオイディプス王に関する悲劇については少し知っていて読み進めるのに役立ちました。またブラッド・ピット主演の映画『トロイ』(イーリアスはトロイの別名)は『イーリアス』を読むときに役に立つと思っています。先週の月曜日に読み始めたのですが、木曜日に親戚が母親のところに来たので世話役として走り回り、翌日は母親がしんどくなって病院に連れて行ったので、今週の火曜日にやっと読み終えることができました。昨日、クラリネットのレッスン日だったので今日はクラリネット日誌を書いた後で、『オデュッセイア』の感想文を書こうと阪急富田駅京都行ホームの後部から2つ目の車両のところで電車の到着を待っていると、千鳥格子の背広を着たN先生が傍に来られたのでした。
「君はようやく『オデュッセイア』を読み終えたが、結構時間がかかったね」
「そうですね、先週の金曜日に残り50ページまで読んで先週末に読み終えてしまおうと思っていたのですが、金曜日に母親が体調を崩して病院に連れて行ったので大学図書館に行くことが出来ず遅くなってしまいました」
「お母さんは大丈夫なの」
「気遣っていただいて、ありがとうございます。最近心臓の状態が悪いのですが、心電図、頭部CT、血液検査で調べてもらいましたが異常はありませんでした。それでも88才なので、あまり無理は出来ません。でもたまには孫、ひ孫に会いたいでしょうし...」
「年に1回くらいはそういうのがあった方がお母さんにはいいに決まっているさ。デイサービスの楽しみは大きな喜びにはならないと思う。で、『オデュッセイア』はどうだった」
「ぼくはホメロスの著作は紀元前12年頃のトロイ戦争前後のことを紀元前8世紀末の詩人が書いているので、高校時代の古文の教科書ような文章かなと思っていました」
「『枕草子』や『徒然草』のような文章だと思っていたのかな」
「そうです、ぼくはそういう文章が大の苦手で進んで読もうとは思っていません。森鴎外の『舞姫』とか夏目漱石の『草枕』のような擬古文もそうです。だって読めないんですからどうしようもありません」
「まあ、そんな簡単に諦めなくてもいいと思うが」
「そうして仮に『舞姫』を読み終えると感動があるのでしょうか。現代語訳を確認しながらの途切れ途切れの読書になるので、むしろ時間を無駄にしてしまったとしか考えないような気がします。そんなふうになるのなら最初から読みやすい名作(わかりやすい言葉で翻訳している世界の名作)をよりたくさん読む方がためになると考えます。ところで『オデュッセイア』が読みやすかったかという話に戻りますが、翻訳された呉茂一氏の翻訳は、中野好夫氏、鈴木力衛氏、山内義雄氏のようなわかりやすい翻訳でした。23章あるそれぞれの章の初めのところに簡単なあらすじが書かれていますし。ただたくさんの登場人物が出て来たので、筋を追うのがやっとでした」
「それでも大体の内容は理解できたんだね」
「この物語はオデュッセウスがトロイ戦争が終わった後もなかなか故郷イタケーに帰れない場面とようやく帰還が叶った(1~14章)後自分の家で我が物顔で妻ペネロペイアを誘惑する求婚者たちを退治する場面とその後求婚者の霊などにオデュッセウスが苦しめられるがアテーネーの力でおさまるところ(15~23章)とに分れます。トロイ戦争で英雄となったオデュッセウスと船の乗組員がイタケーに帰る途中でキュプロクス人に襲われて命からがら逃げますが、その時にポセイドンの子であるキュプロクスのポリュペーモスのひとつしかない眼をとがったオリーブの棒で突いて損傷させポセイドンの怒りを買います。こうしてポセイドンに憎まれ、オデュッセウスの長い旅が始まります」
「トロイ戦争の始まったきっかけはトロイの王子パリスがスパルタ王メネラオスの妻ヘレネーを連れ去ったことから、メラネオスが兄のミュケーナイ王アガメムノンに協力を求めて遠征軍を送ることになるという経緯からだが、『オデュッセイア』は何がきっかけかな」
「それは神々が会議でトロイ戦争の英雄オデュッセウスが10年経っても帰国を許されずカリュプソーの島に抑留されていることを憐み、ヘルメスがオデュッセウスのところに、アテーネーがオデュッセウスの息子のテレマコスのところに使わされるところから始まります。オデュッセウスとテレマコスのことを可哀そうと思ったアテーネーが人間にはできない力でとても不可能と思われるオデュッセウスとテレマコスの再会を叶えます」
「アテーネーはいろいろ姿を変えてテレマコスとオデュッセウスの力になるんだね」
「そうですね、オデュッセウスの友人のメントールに姿を変えてテレマコスを導いたり、オデュッセウスがスケリエー島でナウシカ―と会えるようにしました」
「ナウシカ―はオデュッセウスに良い印象を持ったので父親のアルキノオス王に会わせる。アルキノオスに気に入られたオデュッセウスはたくさんのお土産を持って故郷に帰られるように手配してもらう。ここからオデュッセウスは運に恵まれて帰国を果たすことができるのだが、ペネロペイアを大勢の求婚者から救うためテレマコスと故郷ですぐに合流して求婚者たちに戦いを挑んだのでは勝ち目がないと考えてオデュッセウスは得意の策謀(謀計)を考える」
「自らは物乞いの恰好をして気付かれないようにして、自分の味方になってくれる人と敵を選別して行きます」
「豚飼いのエウマイオスはオデュッセウスの強い味方になってくれたが、山羊飼いのメランティオスは求婚者に武具を渡していたところを見られて陽根を引きちぎられたりして悲惨な目に遭う」
「求婚者の中でもしつこかったアンティノオスとエウリュマコスはオデュッセウスが放った矢に倒れます。アテーネーはこの場面でもオデュッセウスやテレマコスが切りつけられないようにメントールの姿を借りて求婚者の攻撃を防護します」
「求婚者が退治された後に求婚者の親戚がオデュッセウスの館に報復・代償を求めて押し掛けた時もアテーネーは丸く収めてくれる」
「そう考えるとアテーネーのお陰で何もかもがうまく行ったと言えますね」
「そういうことになるが、ぼくは『オデュッセイア』では英雄オデュッセウスの活躍だけでなく、神々の長ゼウスの娘アテーネーの骨折りにも読者の興味を持たせていると思う」
「神々であるのに一所懸命にオデュッセウスとテレマコスのためになることをしていますね。こういう頼りがいのある神様がいてくれたらなあと思いますね」
「そうさ、だから『オデュッセイア』はギリシャ神話の神様を大衆に身近にした物語とも言えるしオデュッセウスとテレマコスが活躍する英雄叙事詩とも言えるわけさ。ただ歴史的事実を書いているだけでないところがいいのさ」
「先生、これからもためになる話をしてください!でも『イーリアス』(呉茂一訳 岩波文庫)は英雄叙事詩で詩の形式で書かれているので読了は無理かもしれません」
「・・・・・・。そうなんや」