プチ小説「青春の光 115」

「は、橋本さん、どうかされたんですか」
「最近、われわれの出番がないんで、「どしたの」と思っていたんだ」
「それを言うなら、「どないなっているんや」でしょう。俯いて歩くのはやめましょう。空威張りでもいいから胸を張って歩いていれば、そのうちいいことがありますよ」
「田中君の言う通りかもしれないが、われわれとしては船場君が本を読んでいるだけでは活動しようがない」
「でも、船場さんは最近いろんな世界の名作を読んでおられますよ。これらは船場さんの晩年の作品に反映されると思われます」
「確かに船場君はいろいろ読んでいるね。今から40数年前にドイツ語を習っている時に書名を知ったゴットフリート・ケラーの『緑のハインリヒ』やその前の浪人時代に書名だけを知っていつか読みたいと思っていたヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』、それを読んだついでにヘッセの『知と愛』を読み直した」
「船場さんは、ドイツ語のN先生に教えていただいたヘルマン・ブロッホの『ウェルギリウスの死』を10数年前に読まれましたが、ブロッホの『誘惑者』と『夢遊の人々』を最近読まれました」
「『夢遊の人々』を読んだと言っても肝心の「価値の崩壊」のところをほとんど理解できなかったのだから、読んだことになるかどうか」
「橋本さんが言われる通りだと思いますが、物語の筋だけは理解されたようですよ。それからディケンズ・フェロウシップの先生からご著書(共訳されたもの)を譲っていただいて『ハード・タイムズ』を読まれています。それからアメリカ文学の代表的な作品『緋文字』『風と共に去りぬ』も読まれています。映画「風と共に去りぬ」を見たついでに映画「レベッカ」を見られて、原作デュ・モーリアの『レベッカ』も読まれたようです」
「イギリス文学に拘らなくなったんだね。確かスタンダール『赤と黒』とホメロスの『オデュッセイア』も読みましたと言っていたね」
「船場さんはアレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』と『モンテ・クリスト伯』それからヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』が面白かったので、フランス文学の名作『赤と黒』もいつか読みたいと思われていました。ホメロスは学生時代にN先生から勧められていて『オデュッセイア』が何とか読めたので今度は『イーリアス』にも挑戦しようと言われていました」
「でも『イーリアス』は英雄叙事詩だから小説と言えないんじゃないかな。それにまとまりがないという話も聞くから船場君も手こずるだろう。でも読んでみようという意気込みだけでも素晴らしい」
「船場さんは今年の後半になって突然松本清張ばかりを読んでいたのをなぜやめたんでしょう」
「それはディケンズ・フェロウシップの春季総会で福岡に行ったついでに小倉の松本清松記念館に行ったのをいい機会にしたのだろう。松本氏があまりにたくさんの本を残されているので、むきになって全部読もうとしたら余生に他の本が読めなくなると考えたようだ」
「確かにどの作品も面白くて膨大だから遅読の船場さんが全部読もうとしたら、20年掛かるかもしれませんね。それで古今東西の名作を先に読んでしまおうと思われたのですね」
「特に興味があったが読めなかったものばかりまとめて読んだみたいだ。でも『イーリアス』を読んで、ヴェルヌの『月世界旅行』(鈴木力衛訳)を読んだら、懸賞小説を書くことに力を入れようと思っているらしい。ここ最近でまとめて読んだ小説が創作にいい影響が出ればいいと応援団のわしは願っている」
「そうですね、でも素寒貧では発想も貧困になりかねませんから、いい知らせが入って船場さんが笑顔で小説を書かれているところを見たい気もします」
「わしも見たいよ」