プチ小説「こんにちは、N先生 102」

私は5年に1度くらいおいしいおせち料理が食べたくなり元日の少し前に京都錦市場をうろうろするのですが、今年は錦市場で黒豆、ごまめ、イカの子を購入した他に大藤で千枚漬けを、SILKでテリーヌケーキを購入しました。これで元日は母親や弟夫婦と美味しいものが食べられると思いながら錦市場を歩いているとN先生が正月飾りの前で腕を組んで悩んでおられました。先生は私に気付かれ、声を掛けられました。
「君は正月飾りをするのかい」
「私は2001年に公団住宅に一人で住むようになって以来、正月飾りをしたことがありません。もちろんクリスマスリースもです」
「どちらも外に掛けるが、正月飾りは期限があるのにクリスマスリースはそのままにしておく人が多いようだ。だからぼくはリースだけ飾って来たんだが、昨今の社会情勢を見たら、日本のためになることをした方がいいのではと思うようになったんだ」
「正月飾りを買うことが、日本のためになるんですか」
「正月飾りは農家の副業だから、買うとそれだけ農家が潤うんだ。工場で作られたプラスチック製の処分に困るようなものじゃないからね」
「私は毎日の食事代にも困っているので、正月飾りはぜいたく品です。もう少し生活が上向きにならないと、買う気は起こらないでしょう。先生は買われるんですか」
「そうするよ、ここで売っているのは他とちょっと違うようだし。ところで君は先日、『エラスムスの勝利と悲劇』を読み終えたようだが、どうだった」
「私は大学生の頃から「人文主義」という言葉をしばしば耳にしてきましたが、この本を読んで「人文主義」というのがどういうものか少しわかった気がします。エラスムスが人文主義者というのはしばしば聞いてきましたが、彼は一体何をした人なのか。なぜそれほど尊敬されるのかがわからなかったのです。またこの本では彼と正反対の性格のマルティン・ルターとの対決も描かれています。エラスムスはロッテルダムで生まれましたが、若い頃からラテン語の書物を読んでいて注目されていました。パリへの留学後、1499年にイングランドに渡り、オックスフォード大学のコレット教授、『ユートピア』のトマス・モア、ヘンリー8世と親交を結んでいます。帰国後、キリスト教に関する著作を出版して彼の名声は高まって行きます。彼の最も有名な著作『痴愚礼賛』(『痴愚神礼賛』)は1511年に出版されています。この時は初めての憧れのイタリア留学、イングランドのトマス・モア等との再会後しばらくしてのエラスムスが精力的に活動していた時期に当たります。その後エラスムスは1514年からはバーゼルに定着して著作活動に励みます」
「そうした絶頂期の1516年頃にエラスムスの天敵と考えられるマルティン・ルターとの出会いがある」
「ルターは1517年に『95か条の論題』を出版しその頃はエラスムスとの間で争いごとはなかった、むしろルターはエラスムスを尊敬していたのですが、やがてルターは自分のことを気に掛けてくれないエラスムスに怒りを持つようになります。エラスムスとしては特定の学者の肩を持つより広く浅く交わるというのが彼のやり方だったのですが、それにルターは不満を持ち名指しで非難するまでになりました。そうした難から逃れるため、また宗教改革の進展でプロテスタントの運動が激しくなる中、バーゼルを逃れて、フライブルグに定住します」
「そうして70才の頃にまたバーゼルに戻ってエラスムスは70年程の生涯を閉じる。彼は多くの著書を残した偉大な人文主義者だが、それほど知られていない」
「私が思うに彼の著作はキリスト教関連のものが多くなじみにくいものです。『痴愚神礼賛』もそうです。彼の学問を学ぶためにはラテン語は不可欠とされますし、『痴愚神礼賛』以外はキリスト教の専門書のようなイメージです」
「エラスムスが唱える人文主義はキリスト教がらみだ。一方一般的な「人文主義」は「ギリシア・ローマの文化の研究を通し、人間性の開放・向上を目ざし、教会中心の考え方に抗した。(岩波国語辞典第二版)」と考えられているので、日本人が考える人文主義と大きな隔たりがあるように思われる。ところで大学で履修する人文科学の履修科目にはどんなのがあるのかな」
「語学もそうですが、文学、歴史学、哲学、論理学、倫理学、心理学などでしょうか。宗教学も一般教育科目になりにくそうですし、ましてキリスト教学となると...」
「エラスムスの人文主義はキリスト教が出発点ということになると日本人の多くの人にとってなじみにくいものとなってしまう。だがこの本でツヴァイクが述べているように人文主義は「人間的でキリスト者的な生活態度」、聖者たちに最もよく仕えるのは「その敬虔な品行を自分の私生活において最も完全に真似ようと努める者」と考えるとキリスト教信者だけが仰ぎ見るだけでなく汎人間的なものにまで高めている気がする。エラスムスの残したことを学ぶためにキリスト教が必須と考えず、一般の人も必要なことを彼の著作から学べばよい。『痴愚神礼賛』は内容の濃い本だから一度にすべてを理解するのは無理だろう。機会があれば何度も読むといい」
「何度も読むのは無理ですが、一度は読んでみたいと思います」