プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 今年は好き嫌いをやめよう編」
わしはちいこい頃から人見知りをする子やと言われていて、ひとり黙々と自分が関心のあることをやって日々を過ごしとった。わしらが子供の頃は毎日子供がスポーツする時に世話をする大人やバスで送迎してくれるような塾のチェーンもなかったから、家にお金もなかったし、学校か公立図書館で借りた本を読むか、近所の広場で三角ベースか探偵ごっこをするしかなかった。わしは人見知りをする子でみんなとわいわい遊ぶ少年やなかったから、家で本ばかりを読んどった...ほんまは8対2くらいでテレビアニメばっかり見とったんやけど。もし世界の名作ばかり読んどったら偉い人になっとったかもしらんけど、漫画ばっかり読んどったからそうはならんかった。今はいろんな漫画があって歴史や経済を学べるみたいでもしかしたら勉強を始める取っ掛かりになっとったかもしれんねんけど、昔はSF、冒険、ギャグ、スポーツ、学園ものの漫画だけで、それを読んですぐに勉強がしたくなるというもんではなかった。その反省からかわしが成人する頃から歴史物の漫画がハードカバーで次々と出版されたもんやった。水戸黄門や大岡越前の本が出てへんかと図書館の受付で調べてもらったくらい歴史に興味があったわしのことやから、ハードカバーの歴史漫画全20巻が棚に並んどったら、全部読んだろと心を入れ替えとったかもしらん。親はそんな自分なりに頑張ってスポーツをするでもないし読書に励むでもない中途半端な子には何か切っ掛けを与えなあかんと4年生の時に近所の英語を知っとる70才位のおばさんのところに習いに出したんやった。何を習ったか覚えとらんが、3ヶ月くらいでやめてしもうた。小学6年と中学1年の時に塾も行ったけど熱心でなかったから成績が良くなるということもなく、結果として普通の平凡な大人になったという感じや。あの時に切っ掛けを掴んでしっかり頑張っとったら将来が輝いていたかもしれんのに、ほんまに惜しいことをしたなと思うんや。船場もわしと同じで人見知りでしかも好き嫌いがはっきりしとったから、大した大人にはならんかった。それでも今も向上心は持っとって、今でも世界の名作をぼちぼち読んどるようや。今までほとんど読まんかったアメリカ文学にも興味を持つようになって、SFなんかも読むようになった。音楽も今までほとんど聞かんかった作曲家の音楽も聴いてみよかと思うようになったみたいや。どんな切っ掛けで、心境の変化があったんか、訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、なんで私がいろいろ聴いてみたいと思うようになったか、ということですね。いや、それはちょっと違うな。なんでも好き嫌いと選り好みせんと本を読んだり音楽を聞いたりするということや。いえいえ、私は相変わらずプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、バルトークの感情のない音楽を聞く気はありませんし、中国文学を読むことはこれからもないでしょう。でも昨年、『緋文字』『風と共に去りぬ』を読んだように興味がある本は時間がかかっても読んでみたいと思っています。音楽について言えば、最近、ツヴァイクの『人類の星の時間』の『ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルの復活』を読んでヘンデルに興味を持ったので、さっそく、今まで聞かなかった「メサイア」のCDを買ったくらいです。少しだけ間口が広くなったくらいです。それでもなんかの切っ掛けがあれば、これまで読んだことがない外国の小説家の作品を読むことに前向きになったと明言できます。ただ音楽で言えば、何度聞いても味気ないプロコフィエフの音楽、交響曲第7番「レニングラード」が不気味で弦楽器の音が先鋭的なショスタコーヴィッチの音楽、いつも期待外れのバルトークの音楽は最初から除外されるのは代わりません。食わず嫌いというのではなく今までの経験から、彼らの音楽を聞くために時間を使うのは避けた方が無難と考えるようになったのです。フランスの作曲家にも名前を聞いただけで止めておこうという人がいますが、あまりにたくさんいるのでご紹介するのはやめにしますが、私が苦手で遠ざけているのは、1.心はずむメロディがない、2.感情が動かされない(感動しない)、3.聞いて不快になる そんな音楽でどれかあてはまるものがあると耳をふさぎたくなります。これはこれからも変わらないと思います。それやったら、今までとあんまり変わらんやないか。そうかもしれません。でも最近は体調も良くなったし、ステレオの調子もいいから、本や音楽を安心して読んだり聞いたりできるような環境になりました。だから許す範囲でいろいろ読んだり、聞いたりしてみようと考えが変わったと言えるんです。そうなんや、ほたらその調子で読書と音楽鑑賞に頑張りなはれ。