プチ小説「長い長い夜 4」
十郎はその日学校から帰ると父親に走り書きのメモを書いた。昨日も父親に話したが、山北の誘いで帰りが遅くなることを伝えるためだった。帰りが午後9時以降になること、夕食は帰ってから食べること、目的は山北の知り合いのおじさんにアナログレコードを聞かせてもらうことをメモ紙に書いて食卓に置くと午後5時になっていた。
<山北君が家に迎えに来てくれる時間は午後5時半でまだ少しあるから、教科書でも見ていようか>
そう思って、勉強机の横にある父親の本棚に並んでいる雑誌の背表紙を見ているとクラシック・レコード・ブック・ベスト1000というクラシック音楽のレコードのガイド本が数冊並べてあった。
<お父さんはたまにお母さんと一緒にクラシック音楽のコンサートに行くけど、他にはFMラジオでクラシックの番組を聞くくらいだ。結婚前はレコードをたくさん買ったようだけどお母さんと結婚する時に処分したのかな。また時間がある時に聴いてみよう。あ、山北君が迎えに来てくれた>
玄関の引き戸を開けると山北がいた。
「今日はお世話になります」
十郎は知り合って間もないのに山北が世話を焼いてくれるので恐縮したが、山北は一緒にクラシック音楽を聞いてくれそうな友人が出来たので喜んでいた。
「いやいや、ぼくは山根君が誘いに乗ってくれたことをありがたいと思っているんだ。あんまり、クラシック音楽に興味を持ってくれる小学生はいないからね」
「ぼくは前からクラシック音楽に興味があったんだ。というのはお父さんがクラシック・ファンでよく聞くから。いろいろおじさんから教えてもらって、お父さんにおじさんから聞いたクラシック音楽の話を聞かせてあげようかと思うんだ。いつも学校の話ばかりだから」
十郎と山北が街の中心部を通り抜けて家が疎らになったところにくると十郎は言った。
「もう20分程歩いたけれどもう少しかかるのかな」
「歩き疲れたのかな。安心して、すぐに着くから。ちょっと外れたところにあるのは往来が少しで静かなところがいいと志谷さん、これはおじさんの名前だけど、が考えたからなんだ」
「そうだね、この辺りは車通りが少ないからステレオの音をじっくり聞けるね」
「さあ、着いたよ」
山北がチャイムを押すと十郎が驚いたことに二人と同年代の女の子が玄関の扉を開けた。後ろに母親がいてにっこりとほほえんで、ゆっくりして行ってねと言った。
「おばさん、おかまいなく。洋子ちゃんも一緒に聞くのかな」
「もちろん、すばらしい音楽を楽しめる機会を逃すのはもったいないわ」
すると意外なことに母親は娘の言い分を否定した。
「わたしはどちらかと言うと2時間を勉強の時間に当ててほしいけど」
「でもお母さん、せっかくこうして同級生が来ているし、お父さんは私がクラシック音楽を聞くことを否定しないわ。あら、山北君、今日はお友達も一緒なのね。あなた、クラシック音楽が好きなのね」
「・・・・・・」
十郎はクラシック音楽に興味があったが、好きとまでは行っていなかったので返事に困り固まってしまった。
3分経っても十郎から言葉が出なかったので、話題は今日どんな曲をリクエストするかの話に移っていた。
「ねえ、山北君は今日何と言う曲が聞きたいの」
「その前に山根君の案内役のぼくとしてはお父さんが帰ってくる前にリクエストの台帳ことを山根君に話しておかないといけない」
「そうね、最初が肝心よね。よく分からないままで初日が終わってしまって、それが私のせいだったらお父さんに怒られてしまうわ」
十郎はそんなささいなことで怒る人はいやだなぁと思っているとそれが洋子にわかったようで洋子は、安心して、わざわざ音楽を聞きに来てくれる人には親切だからと言った。山北は洋子からA4サイズの帳面を受け取りページをめくり始めた。手書きで何か書かれてあるようだった。
「これはここにあるレコードの台帳で主にクラシック音楽だけれど、ジャズやポップスなんかもある。ぼくがはじめておじさんの家にお邪魔した時にたくさんのレコードと立派なステレオが置いてあったので、聞くことができないか尋ねてみたんだ。そしたらおじさんは」
「家のお父さんはレコードを鑑賞するのが道楽で山北君は父親の勧誘に乗せられたわけ」
十郎はなぜ山北が洋子の家まで行けるようになったか不思議だったが、今日はドヴォルザークの「新世界から」が聞きたいなぁと山北が言ったので親切なガイド役を引き受けてくれた友人に加勢した。
「その曲は「家路」という曲のもとになっているね。興味があるなぁ。よく知らないけど」
「ははは、そうさ、理屈なしにとにかく聞いてみたいという気持ちはぼくもわかるよ」
「じゃあ、今日はそれを聞きましょう。その後はお父さんが蘊蓄を語ってお父さんが好きな曲のレコードを掛けるという運びなの。今日は山北君がお友達を連れて来たから、喜ぶし、張り切ると思うわ」
いつの間にか洋子の母親が台所に行き、紅茶を入れて来た。4人でそれを飲んでいるとただいまという声が玄関から聞こえた。