プチ小説「青春の光 116」
「は、橋本さん、どうかされたんですか」
「うーん、船場君が最近あまりに何もしないので退屈で仕方がないんだ。船場君は仕事をやめたから、新しい本を出版できないというだけでなく東京や小旅行に行くこともできない。『こんにちは、ディケンズ先生』は第1巻と第2巻を近代文藝社から、改訂版第1巻、改訂版第2巻、第3巻、第4巻を幻冬舎ルネッサンス新社を出版したが、売れているという話を聞かない。第3巻と第4巻は2020年3月に出版されたが、コロナ禍があったためか第1巻と第2巻のように大学図書館で受け入れてもらえない。そういうことがあって公立図書館で受けてもらえないようだ。この調子では、書店で手に取って見られないだけでなく、大学図書館や公立図書館でも見ることができなくなりやがてネット販売や書店での購入も・・・」
「船場さんが『こんにちは、ディケンズ先生』を出版したのは、自分は家族が持てなかったので子孫は残せない。それで本を残そうと考えられた。その目的は達成しましたが、自費出版で正規のやり方でなかったので上手く行かなくなったようです」
「まあ、普通なら懸賞小説に応募して賞を取って文壇デヴューという流れになるが、船場君の場合は本をまず出版して我が子のように可愛がりたかったようだ」
「船場さんのお父さんが定期購読していた読売新聞に近代文藝社が、「あなたの本を査定します。Aなら企画出版 Bなら流通する自費出版 Cなら完全自費出版」という広告を出していて、船場さんはホームページに掲載していたプチ小説「こんにちは、ディケンズ先生」を出版できるくらいの量にして近代文藝社に送付したようです。すると1ヶ月もしないうちに、Bでなら出版できますと回答があったようです」
「船場君はもちろん家族や親戚にも本を出版したという人がいなかったので、大反対に遭ったがお金をやりくりして何とか出版した」
「編集者がダ・ヴィンチなどに広告を出してくださったおかげで少しは売れたようですが、たいした反響はなかった」
「船場君の著書は、文豪ディケンズが主人公の夢に現れて人生相談に乗り自分の著書について語るという内容だったため、ディケンズの愛好家団体ディケンズ・フェロウシップに自著を贈呈することにした。すると理事の方から便りがあり、京都大学で開催される秋季総会に出席しませんかと親切なお誘いが書かれてあった。船場君は仕事用のスーツしかなく、何を思ったか20年前に近所のオーダーメイドの店で3万円で作ったブレザーで総会に出席した。たくさんのディケンズ・ファンの大学の先生と話せて船場君は天に昇る心地だったが、もうひとつ幸いなことがあった。寄贈した図書が大学の図書館に受け入れられるようになったのだった。そうして第1巻と第2巻は多くの大学図書館と公立図書館に受け入れられ、2016年4月にお父さんと死別するまでは『こんにちは、ディケンズ先生』がいつかたくさんの人に読まれると期待を膨らませていたようだ」
「そうして引き続き第3巻、第4巻を近代文藝社から出版しようとしましたが、いろいろ事情があって改訂版第1巻を2018年に、改訂版第2巻を2019年に幻冬舎ルネッサンス新社から出版することになりました。大手出版社の子会社なのでデザインなどがすばらしいなと思いましたが、売れているという話は聞きませんでした。それでも定年でお金がもらえたので、船場さんは2020年3月に第3巻と第4巻を幻冬舎ルネッサンス新社から出版しました。これが起死回生となるかと期待していたのですが、2月頃からコロナ禍で出版で浮かれているどころではありませんでした」
「船場君は2022年7月まで医療機関で働いていたから尚更我慢しなければならなかった。出版して大学図書館に寄贈したが、コロナ対応で忙しかったようで後になって、京都大学と東北大学と船場君の母校立命館大学に受け入れられただけだった。そういうことがあってか、公立図書館も受け入れられなかった。名古屋市立図書館(区立も含む)に今までたくさん受け入れてもらっていたが、第3巻と第4巻が受け入れられないため遠くの図書館に行くのを船場君はやめてしまった」
「船場さんはおかあさんの介護、病院への付き添いをしながら仕事を続けていましたが、人間関係がうまく行かなくなりストレスが溜まって2022年7月に退職します。給与がなくなりましたが、それまでできなかったLPレコードコンサートを2023年6月に再開でき、クラリネットのレッスンは2022年10月から再開して2023年6月には発表会に出ることができました。この2023年6月は喜びが重なって船場さんは今から頑張ろうという気になったようですが、この頃になっても『こんにちは、ディケンズ先生』第3巻と第4巻が売れず大学図書館の受け入れもなくて大阪府内の公立図書館に行くことが出来なかったようです。この頃からようやく船場さんは懸賞小説に応募して賞を取らなければ道は開けないと考えるようになったようです。もう64才になっていました」
「遅きに失するという感じが否めないが、お母さんの介護、付き添いが大変だったらしい。船場君が仕事をやめた頃から足の静脈瘤から黴菌が入って蜂窩織炎になったみたいだ。そうして強い薬ばかりを服用したからか、年末に腸に穴が開いて緊急手術となった。大学病院はすぐに退院できたが、体力がなかなか回復せずストーマの取扱いに慣れるまで時間が掛かった。2023年4月には家に戻られたが、8月に船場君がコロナになりそれがお母さんに感染した。船場君はコロナで体調を崩して回復するのは昨年の10月頃だった。お母さんも体調が回復せず昨年の7月はコロナの後遺症やストーマなど排泄のことで体力的に消耗して精神的に追い詰められた。昨年の8月中旬にかかりつけの病院に入院して治療がうまく行き、排泄について親切な指導があったおかげで昨年10月頃から以前のようになったが、時々体調が悪くなるようだから、目が離せない」
「そういう状況の中で、船場さんは細々と大学図書館で懸賞小説を書いておられるのですね」
「最初に言ったように出掛けて気晴らしが出来ないのは、お母さんの病状が心配で何日も家を開けられないというのがある。今はお母さんが落ち着いておられるので、小説を書いて、日帰りでLPレコードコンサートに東京に行き、クラリネットのレッスンを受けることについては支障がないようだから、それを地道に続けて何とか賞を勝ち取ってほしいと願うばかりだ」
「そうですね、そうしたらいろいろ苦労した人生だったけど終わり近くで輝くことが出来たと思われることでしょう」