プチ小説「たこちゃんの友情」
らんらんらん、らんらららんという気分になったことはぼくの場合皆無だな。世の中にはモテる人と
そうでない人がいるが、自信を持って言えるがぼくはもちろん後者だな。思えば、失敗の積み重ねの結果
と言えるかもしれないが、他のことなら学習して失敗をしないようにするのに、これに関しては打つ手なく
終ってしまうのが恒例となっている。出会ってはじめて話し掛ける時には意識をしないからかふつうの会話が
できるが、2回目になると相手が身構えて話しているのがわかるんだ。むかし予備校の世界史の先生が、
フランスのある経済学者は醜男だったので、女の人のことを考えないですんで偉業を残したと言われていたが、
その時は浪人で純真なところがあったので、ぼくも●●ーのように生きようと思った。しかし大学に入ることが
できて心が開放的になると、そんな考えはすぐに忘れたんだ。それからも同じことの繰り返しをしているが、
自分が不細工で打つ手がないとわかるのにはもう少し時間がかかりそうだ。でも、冷静に考えると、スポーツマン
でもハンサムでもなく、これといって異性の心をときめかせる技を持っていないぼくが女の子と対峙して何ができるか、
考えてみると自分の限界に気が付いても良さそうなものだ。恋愛については、児童公園で特訓して技を身につける
わけにもいかないし図書館に手引書が置いてあるわけでもない。でも、ぼくはレコードやラジオでラヴソングを聞いたり、
純文学を読んで参考にしたりしたんだ。だけれどこういったものは概ね、ぼくのような失敗つまり失恋を描いているような
気がする。これもよく考えてみればわかることだが、上手く行っている恋愛よりも絶望的な恋愛の方が人々の心を
シェイカーで振り回してかき混ぜるように、はらはらどきどきさせるからだ。そんなわけでその悲劇的な結末をよく
わかっていながら、参考にならないことを知っていながら、ずるずるとそういったものにのめり込んで行った。
思えば、普通にせよ大恋愛にせよ結婚して幸せな生活を営んでいる人は、お互いの気持ちがわかっていてもうそれ以上の
努力をする必要がないのだから、あえて成功談や今の生活を文章にして残しておこうなんて考えないんじゃないだろうか。
今の生活に満足しない、恋愛に失敗した人たちの経験談が巷間に溢れているのでそれを当たり前として受け入れているのが、
ぼくを含めた恋愛に飢えている人たちの姿なんではないだろうか。ぼくがこんなことを考えて、強ばった顔で歩いていると
いつも勤務先の最寄りの駅前にいる、スキンヘッドのタクシー運転手が近づいて来た。「お客さん、今日はどないでっか」
「どないでっかって、なんのことですか」「この前、病院まで乗らはったでしょ。だ、か、ら...」そう言って、右手の人差し指を
右の頬に近づけて続けたんだ。「もう1回行かはったら、と思うたんで...」「それで、なにか特典でも...」とぼくが言ったら、
「ああ、それなら、ええことがあるよー。ぼくと親しくなれるから、これはすっごく、ものすごくええんよー」と言ったんで、
「そうでっか、ほんなら君の言う通りにしまっさ」と言ってしまったんだ。ぶつぶつぶつ...。