プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 願えば必ず叶うと信じて編」

わしは幼少の頃何かに打ち込むということはなかった。いろいろ事情があったけど、何かに打ち込んどったら若い頃一所懸命にしたことを懐かしく思い出すことができたかもしらん。わかりやすく言うと、父親が野球選手やサッカー選手にさせたいから毎朝夕に5キロ走らせるとか、母親が学者や官僚にさせたいから毎晩数時間の勉強させるということはなかった。もちろんわし本人も凡人やから将来偉い人になるんやと思って一念発起するということもなかった。両親が自由にさせてくれたお陰でわしはいろんなことを好き勝手して楽しんだ。蝉取り、トンボ取り、キャンプ、三角ベース、探偵ごっこ、缶蹴り、サイクリングなんかは時間があって近くに同年齢で一緒に遊んでくれる子供が10人ほどおったからやりたいことは何でもやった。小学校4年生くらいまではそうやって楽しめることを出来る範囲内で楽しめたんやったが、小学校5年生になると母親がこのままではうちの子は何もせんと楽しいことを楽しむだけで一生を終えるんとちゃうやろかと不安になったみたいや。4年生までは習字とそろばんを習っとったんやが、5年生になると塾に行くようになった。そろばん、習字と塾が違うところは予習をせんと置いて行かれるということやった。それまですべていきなり授業でいけとったのが(ほんまは4年生までも予習復習をしとった方が良かったかもしれんが)、塾で恥ずかしい思いをせんで済むように家で予習をするようになった。親は息子に頑張ってほしいと中学1年生まではわしを塾に行かせてくれたが、育ち盛りの子が他にもおったからわしばかりに教育費を出すわけに行かんかった。ほんでわしは中学2年生になってからは塾に行かなくなったし親も仕事で忙しかったから、自由に好きなことができた。世界文学全集に興味を持つことはまったくなく毎日マンガ本ばっかり読んどった。深夜放送にのめり込んで深夜まで起きとったから昼間は眠たかった。それでも公立高校に入らんと親に迷惑がかかると中学3年生はちょびっとだけ勉強はした。その反動で高校3年間は深夜放送とマンガ本とフォークソングと文科系クラブ活動に明け暮れた。そうして高校を卒業して一度行き詰ったんやが紆余曲折があって今も何とか生きている。今、振り返ってみると何で学生時代に改心せえへんかったのかと思うんやが、後の祭りや。船場も70才まで働いとったら、収入が安定して経済的に行き詰ることも回避できたはずなんやが、62才で仕事を辞めて今は大学図書館に通って懸賞小説に応募する原稿を書いとる。風の噂ではあいつこのままでは経済的に苦しいから、楽しい老後は送れそうもないらしい。クラリネットのレッスンもLPレコードコンサートもホームページのサイト運営も続けられそうにないと言っとった。船場は懸賞小説で賞が取れれば経済的に潤うと甘い考えを持っとるみたいやが、1000人以上の人が応募する、競争率1000倍の難関を突破できると考えとるんやろか。船場はタイムリミットは来年の6月までやからそれまでは今までと同じように大学図書館に通って応募する小説を書きますと言うとったけど、その後はあんまり考えとらんみたいや。ただ経済的にさらに厳しくなるから食費を押さえて自宅で原稿を書きまくるしかないと言うとった。経済的に苦しくなることがわかっているんやったら、大学まで通う運賃1,120円が節約できるから大学図書館に行くのをやめたらええのにと思うんやが、あいつは、大学に行くと気分が変わるんですと言うてわしの言うことを聞かんかった。あいつは、もし賞が取れて安定収入が入るようになったら、いろいろしたいことがあるんです。クラリネットのレッスン、LPレコードコンサート、ホームページを続けるだけでなく、旅行に出掛けてライカで写真をいっぱい撮って、本が売れたらたくさんの小説を残したいんですと言うとった。わしは、それは賞をもらえたらの話やが、そう行かんかったらどうするつもりなんやと何度でも言ってやりたいところや。来年の6月あいつはまだ67才や。まだまだ先が長い。経済的に苦しいんやったらいつまでも趣味を楽しむ生活をするのは諦めて、早々にわしみたいに爪に火を灯して倹しい生活を始めんといかんと思うんや。いや、それよりあいつは野放しのままにしとくのやなくてどこかで働いて汗を流さんといかん。そんなことを船場に言うたろと思うとったんやが、あいつわしの言うことなんか馬耳東風やから今日は自省を促すだけにしとくわ。