プチ小説「こんにちは、N先生 105」

私は月3回阪急烏丸駅近くにあるJEUGIAミュージックサロン四条でクラリネットのレッスンを受けているのですが、今日もそのために立命館大学前から55番のバスを利用して四条烏丸まで行くことにしました。前々回からレッスンを受けているムゼッタのワルツ「私が街を歩けば」を今日で仕上げたかったので、午後4時からのレッスン前に2時間練習するために午後1時20分発のバスに乗ることにしました。正門を出て横断歩道を渡っていると聞き慣れた声が後ろからしましたが、それはN先生でした。
「君はクラリネットのレッスンを受ける教室に行くためにバスに乗るようだが、50番の市バスに乗るのかな」
私はなぜ先生が私のクラリネットレッスンのことを知っているのかと不思議に思いましたが、何も言いませんでした。
「いいえ、50番の市バスはJR京都行きで四条通を西洞院までしか行きません。四条烏丸まで行くためには、12番か52番か55番のバスに乗らないと行けません」
「そうか、君が学生時代の頃に良く一緒に乗った50番のバスに乗りたかったのだが、それじゃあ、今日はここでお別れだ」
そう言ってN先生が私の側を離れてベンチに腰掛けられたので、私は先生に駆け寄って言いました。
「先生、そんな悲しいことは言わないでください。私も50番に乗って、四条西洞院で下車して四条烏丸まで歩きます」
「わかった、そうしてくれ。じゃあ、今日は、『ファウスト』の感想を聞く前にクラリネットのレッスンの話を聞こうか」
「ええ、もちろんいいですが、先生は千本中立売で降りられるのですか」
「まさか、あの下宿は30年近く前に出たよ。今日は京都でぶらぶらしているだけだから、君の目的地の四条烏丸まで一緒に行くよ」
私は、それだったら55番に乗りましょうと言いたかったのですが、先生を不快にさせたくなかったので一緒に50番の市バスに乗ることにしました。すぐにそのバスがやって来たので一緒に乗り込みましたが、昔そうだったようにうまい具合に後ろから2つ目の正面から向って左側の2人掛けのシートが開いていたので一緒に腰掛けました。
「そうそう、あの頃はこうやって腰掛けて、クラシック音楽や西洋文学の話をしたものだった。ところで君はクラリネットを習い始めて何年になるのかな」
「始めたのが、50才になる少し前でこの前66才になったところですから16年ですと言いたいところですが、コロナ禍があり医療関係の仕事をしていたのでなかなか再開できませんでした。仕事を辞めてしばらくして2022年10月に再開しましたが、2020年3月からレッスンを自粛していたので2年8ヶ月のブランクになります。ですから今のところ13年4ヶ月習っていることになります。長い間習っていますが、なかなか上手くならないんです」
「そりゃー、芸術はセンスがある人とない人では最初から大きな開きがある。その大きな開きを日々の努力で克服して大物になるかどうかだ。最初から音楽で生計を立てるとかの目的がなくて趣味で習うと考えているんだったら好きな時に必要なだけ練習すればいい。でも君はそれだけでは満足できないんだろ」
「そうですね、私は中学生の頃からラジオでいろんな名曲に出会いました。ポップス、フォーク、クラシック、イージーリスニング、ジャズなどいろいろなジャンルでそれぞれすばらしい曲を知りました。それを何度も聞いていると自分でも下手なりに演奏してみたくなって、50才になるとその願望をすこしでも叶えるためにクラリネットを習い始めたのでした。クラリネットを選んだ理由の一つはその音域の広さと音のやさしさで正しい選択だったと思います。最初はポップスのやさしい曲でしたが、今では一部のクラシックの難しい曲も何とか最後まで演奏できるようになりました。ジャズの好きな曲も先生の指導があって楽しんで演奏できるようになりました。この調子でクラシックやジャズの名曲を自分なりに楽しんで演奏できるようになりたいと思っています」
「でも、最近問題が出来て来たんだね」
「そうです、やはり月に1万6千円ほどのレッスン料は高くて来年の6月の発表会が終わった頃にはやめるか、支出が少なくて済むかたちで継続するかの選択が必要になります。応募した小説が賞を取って、原稿の依頼が来れば今と同様のレッスンを続けることは可能ですがどうなりますでしょうか。今のところ来年の7月以降は月に1回クラリネットの先生のお顔を見ることができたらいいかなと思っています」
「ホームページや大学図書館通いも続けられないんじゃないのかな」
「まあ、それはその時考えるということで。今のところはそれまでに懸賞小説で賞がもらえると希望をふくらませていますから」
「わかった、クラリネットのレッスンが続けられるように祈っているよ。ところでもう四条西洞院まで来てしまった。ここで下車するんだね」
N先生と私は市バスを降りて四条通を東に歩き始めました。
「ところですぐに四条烏丸に着いてしまうが、ゲーテの『ファウスト』はどうだった」
「私は幼い頃に偕成社の少年少女世界の名作で『ファウスト』を読んだ記憶があります。もちろん散文で書かれていて読みやすかったです。そうして高校時代に幼い頃に読んだ『ファウスト』の全訳を読もうと文庫本の『ファウスト』をいろいろ見たのですが、どれも古文でしかも詩のような韻文でした。それで、こらあかんわと呟きながら本を棚に戻したのですが、この動きを今まで50回はしたと思います。他にも『若きウェルテルの悩み』、戯曲『ヘルマンとドロテーア』がありますが、これらは面白くなくて途中でやめた記憶があります。『ヴィルヘルム・マイステルの修業時代』は我慢して最後まで読みましたが、主人公が自分の劇団を一流にしようと奮闘しているんだなと思いましたが、没入することがなく小説を楽しませてくれる登場人物も現れませんでした。そうして今度こそ何とか我慢して『ファウスト』を最後まで読もうと思っていたところ、口語体で書かれている『ファウスト』を見つけ読むことにしました。読みやすくて何とか最後まで読みましたが、こちらも没入することはありませんでした。グレートヒェンの痛ましい最期の場面やファウストが思わず「止まれ、おまえはなんとすばらしいのだ!」などと言って絶命するところも感動はありませんでした。他に有名な「ワルプルギスの夜」(ロマン的と古典的のふたつがあるようです)もドイツ語の原文を読んだら韻を踏んでいたり言葉遊びが楽しめて面白いのかもしれませんが訳文を読んだだけでは楽しさはわかりませんでした。またスパルタのメネラス王の妻ヘレナを奪って子供オイフォリオンが出来るのですが、こちらも突然ヘレナが消え去って終わってしまいます。途中で主人公のファウストがいなくなったりメフィストーフェレスが偉そうにしたりして、どちらが主役なのと言いたくなったこともあります。第一部と第二部に分かれていて第一部は若い頃の作品で第二部の方はゲーテが一生かかって完成させた大作と言われますが、その割には短いと思います。残念ながら、物語に引き込まれて早く先が読みたいと思うことはありませんでした」
「でもそういう小説はなかなかないんじゃないかな」
「そうですね、でもどこかそういうところがちょっとでもあれば、読者は喜ぶもんです。でもそれが全くないと、もうやめとこうとなるんです。ゲーテは小説以外にも『色彩論』などの科学的な著作もあってそれだからこそ後世に名を残す偉大な人物だったと思うのですが、小説家としてはどうだったのかなと思います。彼の肖像を見ると庶民に楽しい読み物を提供してくれるようには思えません。上流階級の人に話題を提供するというタイプの人のように思います。ディケンズは少年時代苦労して本を読んだだけでなく順風満帆の人生だったら出会うことがないような人々とのつき合いもありました。多分、その中にマードストン姉弟のような性格の悪い人もいたと思います。クレアラ・ペゴティのようなやさしいおばさんが近くにいて相談に乗ってくれたようにも思います。苦しい時に酷いことをする人もあればやさしく慰めてくれる人もいるということをディケンズは自分の肌で感じることができたと思います。逆にゲーテは上流階級にいて動こうとせず幅広い人間関係を持とうとしなかったと思いますしもちろん苦境に立たされて辛い思いをしたようには思えません。辛いばかりでは陰にこもってしまって書かれたものが面白くなくなりますが、まったく苦労知らずで生活して来た人が辛い場面を創作して書いたとしても真実味はないと思います。ゲーテがそんな感じの人だったから、他の人と深い付き合いをせず独りよがりになって自滅するタイプの人を小説に登場させるとか技巧に富んだ韻文の詩や小説を書いたのだと思います」
「君の考えは偏りがあるが、多少ゲーテにはそんなところがあるかもしれない。でもそんなことを言ったら、ゲーテは一所懸命頑張ったのにと悲しい顔をするんじゃないかな」
「人には好みがあって私にはディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』『大いなる遺産』『リトル・ドリット』『荒涼館』『オリヴァー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』など、モームの『人間の絆』、ユゴーの『レ・ミゼラブル』、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』、オースティンの『自負と偏見』などは心が動かされ温かい愛情に触れることができ心が豊かになる気がするので、今まで何度も読んで励まされました。それはこれからも変わらないと思いますから折に触れてこれらの名作を味わいたいと思っています。でも最近はそういう名作に出会えなくなっているので悲しいです」
「まあ、一度読んだものを再読して心が動かされる違う場面に出会うこともありうる。君はディケンズの小説を何度も読んでいるんだろ。『大いなる遺産』を10回以上読んでいるから、他の作家の小説も再読したらどうかな」
「先にあげた名作はどれも3回は読んでいますが、もう一度読んでみます。ですがそれより新鮮な感動が得られたらと思います」