プチ小説「こんにちは、N先生 106」

母校の図書館が祝日にも開館していることがあるので、私は時たま利用します。今年の場合ですと、4月29日は昭和の日で祝日ですが開館しています。でも5月3日から6日までは閉館日となっています。29日の朝いつもと同様に午前6時30分少し前に家を出発して阪急富田駅に向って歩いていると、本照寺の辺りで後ろから声が掛りました。それはN先生でした。
「君は昨日、岩波文庫の『アナバシス』(松平千秋訳)を読み終えたようだが、どうだった」
「私は昨年の夏に呉茂一訳の『イーリアス』と『オデュッセイア』を読みました。この訳は以前岩波文庫で書店の本棚に並べられていたのですが、今は松平千秋訳の『イーリアス』と『オデュッセイア』に変わっています。私は呉氏のギリシア神話を以前読んだことがあり読みやすかったので、まずは呉訳を読みました(『イーリアス』は岩波文庫で、『オデュッセイア』は集英社世界文学全集第1巻で読みました)。特に『オデュッセイア』はとても読みやすく今から2千何百年も前の物語を楽しく読ませてくれる呉氏に感謝したものでした。それでその呉訳の代わりに書店の本棚に置かれるようになった松平訳に興味が湧いて母校の図書館で読んでみたのですが、呉氏のような口語調ではなく読みにくかったんです」
「それは君に読解力がないからじゃないのかな。それから未知のギリシアの風景や生活や衣食住がうまく頭に描けなかったからじゃないのかな」
「そうですね、私は相変わらず古文、擬古文は読まれないので、日本の古典文学には手が付けられませんし文語調の翻訳も同じです。ギリシアの様子が頭に描けないので現代文学を読むようにすんなりと頭に入りません。でもディケンズの長編小説、『レ・ミゼラブル』『モンテ・クリスト伯』をはじめいろんな西洋文学を読んできました。だからこれは歯が立つものかそうではないのかというのはわかるようになってきました」
「ほう、その歯が立たないというのは誰の訳かな」
「一番最初に浮かぶのは、堀口大學訳のサン・テグジュペリ『夜間飛行』で、これは光文社文庫の二木訳を読んで始めて内容が理解できました。同じことが新潮文庫『緋文字』にも言えます。岩波文庫のように緋文字についての説明がないとこの小説を理解できないと私は思うのですが、鈴木訳にはそれが付いてませんし翻訳もわかりにくかったのです」
「というと『緋文字』の場合は訳そのものだけでなく、足りないところもあるということかな」
「そうですね、『緋文字』は「税関『緋文字』への序章」がないと「緋文字」というのが何なのかがわかりません。調べると何となくわかるのですが、鈴木訳にはそれについての説明がなかったと思います。また『オデュッセイア』松平訳は呉訳(集英社版)のような丁寧な梗概がないのも理解しにくい原因になっていると思います。梗概のお陰で助かるなぁと思う翻訳に、『ユリシーズ』(河出書房新社版は梗概がありませんが、集英社文庫は梗概があります)がありますが、とても歯が立たないと思われるウェルギリウスの『アエネーイス』(泉井久之助訳)も丁寧な梗概があるのでそこを読めば物語のあらすじはわかります。こうしたことはその本を開いてよく見てみないとわからないことなので、梗概や本を通読するために役に立つ手引きのようなもののあるなしはこれから大作を読もうと考えている人のために情報提供するのはその方のためになると考えるのです。よけいなおせっかいと言われても」
「まあ、君の独自の考えはどうかと思うな。選択肢が一つしかない場合もあるし、与えられた本は読んで自分なりに消化して心に残ったものだけを残しておけばいいと思うよ。梗概や手引きがなくても物語は理解できるし心に何かが残るものさ。ところで、『アナバシス』はどうだった」
「クセノポン(クセノフォン)の著書では『アナバシス』と『ソクラテスの思い出』が有名ですが、『アナバシス』を先に読んでみることにしました。先生がクセノポンについての著書を出版されているので以前から興味があったのです。でも松平氏の翻訳なので最後まで読めるか不安でした」
「それでも何とか最後まで読んだんだね」
「どれほど理解できたかですが、『オデュッセイア』(松平訳)と比べると平易でこなれた訳だったので一応最後まで読みました。『アナバシス』は小説のような感動や盛り上がりのある終わり方でなく、他になる人がいなかったのでクセノポンが指揮官となってギリシア人傭兵を率いて大変な苦労をしてスパルタ近くまで導いた記録という感じでした。この本の表紙に書かれてあるようにペルシアのキュロス王子に雇われたギリシア人傭兵一万数千人の采配をキュロス王子の急死でクセノポンが取ることになり、様々な難問が降りかかります。そうしてその難しい問題をクセノフォンが手際よく解決して行くのですが、敵は最初キュロス王子の兄アルタクセルクセスに率いられたペルシア軍でした。しかし途中からは傭兵たちは盗賊のようになり生き延びるためにスパルタに向かう途中で焼き討ち、略奪、虐殺を繰り返します。そうして住民の怒りを買い徐々に追い詰められていき、クセノポンの知略によって難を逃れますが多くの傭兵を失っていきます。何とかクセノポンのお陰で無事スパルタまで帰って来られた傭兵たちがクセノポンに感謝して讃えるのかと思っていたら、セウテスの裏切りにあいクセノポンは処刑されそうになります。自らの釈明によりクセノポンは辛い指揮官の仕事から解放されますが、その後指揮官などの要職に就いたとの説明はありません。傭兵たちは食べて生き残るために住民を虐殺したり、給料の支払いがないとクセノポンに詰め寄ったりします。当時は騎兵(馬に乗った軍人)がほとんどなく戦力は重装歩兵と軽装歩兵で勿論飛び道具は銃ではなく石や槍でした。そんな軍隊ではクセノポンが指揮官となって一所懸命練った戦略を実行して戦いに勝てても傭兵たちに尊敬されることもなく有難がられることもなかったのかもしれません。もしかしたらそういうことになるから、戦争はしない方が良いとクセノポンはこの著作で言いたかったのかもしれません」
「君の『アナバシス』の評価はあまり高くないようだが、『ソクラテスの思い出』も読むんだろ」
「ええ、もちろん。佐々木理訳を読んでいるところです。哲学の話が出て来るとしんどいかなと思っています」
「まあ、途中でやめることなく最後まで頑張って読む方がいい」