プチ小説「クラシック音楽の四方山話 宇宙人編 68」

福居は物心ついた頃から就職1年目まで、つまり幼稚園、小学校、中学校、高校、浪人、大學、就職して1年間は吹田市内で過ごした。大阪万博会場近くの千里であればその前後に街の様子が激変したかもしれないが、福居が住んでいたのはJR吹田駅から北へ15分程の官舎(福居が過ごしたころはまだ日本国有鉄道だった)なので、次々とアパートが出来たり住宅街が現れたりすることはなかった。福居が高校3年生の頃に木造官舎から徒歩で5分程のアパートへの転居が必要になったくらいだった。福居はその頃に通った道を歩いてみたくなって5年に一度程昔住んでいた辺りに行くことがある。しかし今までの生涯を通して喜びが少ない福居がそこを久しぶりに歩いたとしても、楽しい思い出が蘇るということはありえなかった。大阪高槻京都線(産業道路と呼ばれている)の信号を渡って住宅街に入ったところで福居は思い出した。高校2年生の夏にここで同じクラスの女の子に声を掛けたが相手にされなかったのだった。福居がアパートに移った頃に新築された市民病院は5年程前にJR岸部駅前に移転したが、今も建物のほとんどは残っていた。その近くを歩きながら、福居は思った。ここは今は公園になっているが昔は球場で夏には少年野球の大会が行われていた。6年生の時にそれまで出場機会がなかった福居は出させてもらったが、3打席3三振だった。福居が浪人時代にバイトで郵便配達をしていたが、高級住宅街と呼ばれる地域も郵便物を配って回ったことがあった。今ほど夏は熱くなかったし豪雨もそれほどでなかったけれど、私服で配達したし雨具は固くて通気が悪かった。今のように猛暑日が続いたり長時間豪雨だったりしたらすぐにやめていたかもしれないな。名神高速道路にそばを歩きながら、福居は思った。この辺りにF君という同級生がいて何度か遊んだが、ある日家に行くと、明日、仙台に引っ越すから今日は遊べないと言っていた。F君は今どうしているかしら。やがて福居が通った小学校の前を通ったが、スポーツが得意でなかったし人見知りをする性格だったので今でもつき合いのある友人はいない。クラブ活動は5年生と6年生はどこかに所属していたはずだが、6年生に囲碁部に所属していたことしか覚えていない。囲碁部では顧問の先生が基本的なことを教えてくれるかと思っていたが、全くそのようなことはなく自分と同じように囲碁の知識がない1年下の生徒と碁盤を挟んで頭を抱えていたことを思い出すだけだ。囲碁、将棋、麻雀、競馬、競輪、競艇、パチンコ、カードゲーム、ボードゲームなどに全く興味が持てないのはこの時に素養がない人は勝負事の場合門外漢という意識が根付いたからだと思っている。やがて福居は市民プールと図書館があるところにやって来た。福居は夏休みに小学校のプールに通うことをしなかったので25メートル以上泳ぐことはなかった。手だけで泳ぐクロールしかできないし高校卒業して以来泳いだことがない。図書館は小学校の図書館でホームズやルパンの探偵小説を借りたことはあったが、市立図書館に高校生の時まで行くことはなかった。浪人になって何度か受験勉強ができないかと利用したことがあったが、閲覧室で自習をすることはできなかった。当時はバイトをしながらの宅浪だったが、やはり予備校に行かないと無理だなと思ったものだった。市立図書館の手前にバラ園があって福居は綺麗な花が咲いていたので、ライカは持って来なかったが持っていた小型カメラで撮影しておこうと思った。

    

福居は花を撮りながら思った。高校時代に写真部に所属してカメラに馴染んだのは良かった。暗室でフィルム現像の作業をしたり印画紙に焼き付けることは身に付かなかったけど、今は電子画像の時代だから、のめり込まなくてもよかった。吹田市に住んでいる時にやりたいことがうまく行かなかったため、それらが燻り続けた、そのおかげで就職して2年目の高槻に転居した頃から形を変えて実現していったのだと思うと。福居がバラ薗のバラを撮影しているM29800星雲からやって来た宇宙人が福居に声を掛けた。
「アンタハヤルコトナスコトガウマクイカンカッタカラ、ウマイコトイカンノガカイカントナットルノトチャウノン」
「その通りだと思います。今、クセノポンの『ソクラテスの思い出』を読んでいますが、それは非力な私を神様が導いて下さっているからこんな感じの人生になったと思うんです。でもよく考えてみると、女の子とのつき合いが始まっていたら、今頃はたくさんの孫に囲まれた好々爺になっていたかもしれません。小学生の頃に野球で頭角を表したら野球選手になっていたかもしれません。囲碁部で先生がいろいろ教えてくださって興味を持っていたらそれでたくさんの愛好家の人と仲良くなって交友関係が広がったかもしれません。でもそうならなかったので今の自分があるのだと思います。うまく行かなかったと考えると悲しくなるかもしれませんが、今でも楽しく人生を過ごしているのですから、うまく行かないのは仕方がないを通り越して、最近はうまく行かない方が良かったと思うくらいです。その瞬間は苦しくても時間が経てば必ず傷は癒されるので、短気を起こさずに人生を送ってほしいと苦い経験を何度もした経験者として言いたいところです」
「ワシニハマケオシミニシカキコエンガ。マアイロイロカンガエカタガアルカラネ。トコロデチョビットデエエカラクラシックオンガクノハナシヲシテクレヘンカ」
「最近、購入したCDにカラスが主役のグルックの歌劇「トーリードのイフィジェニア」という古代ギリシアの物語か実話を題材にしたものがあります。イフィジェニアはアガメムノンの娘で生贄にされたことで有名ですが、それはトロイ戦争の前のことです。ところがこのオペラはトロイ戦争が終わった後のこととなっていて、なんでかなと首を傾げます。こういう首を傾げるオペラについて日本語の解説書と台本を読んで筋が通る説明をすれば面白いかなと思っています。またそういったものを読んで色々考えて、小説のネタ作りをしようかと考えています。でも面白そうだなと思っても曲自体がつまらないと見送るかもしれません」
「マアソレガタノシイノナラヤッタラエエガナ。タノシクナイコトヲツヅケルノハツライトイウノハアンタヨウワカットルヤロ」
「そうですね、それに楽しんでやらないと面白い読み物にならないしつまらないことを続けていると創作意欲が減退していくと思います」
「ジカンガアルカラ、ユックリシタラエエントチャウ」
「その通りです。でも小澤一雄さんの個展に行かないといけませんし、発表会の練習をしないといけない。ディケンズ・フェロウシップの春季総会もありますし、6月1日にはLPレコードコンサートを開催します。多分、今言ったことは7月になってからぼちぼち始めるということになると思います」