プチ小説「クラシック音楽の四方山話 宇宙人編 70」

福居は数年に一度京都大学近くの哲学の道を春の桜の頃に歩きたくなるが、それ以外の時にはその近辺に行くことはほとんどない。新緑の頃の法然院は魅力があるが、以前たくさんあった百万遍の近くの古書店がほとんど姿を消したので行く目的がなくなり20年前からはそのあたりから遠のくことになった。それでも5年程前に竹岡書店で『ギリシア悲劇全集』(人文書院)を購入したことがあるので、まだまだお世話になることがあるとは思う。しかし福居は60才をずっと前に経過していて貧乏暮らしをしているので、わざわざ電車賃を払って出向くよりネットで最安値の本を探す方が向いていた。それでも久しぶりに重い腰を上げて百万遍から銀閣寺道に行き竹岡書店を覗いてから哲学の道を散策しようと思い、京阪出町柳駅で下車した。福居が地上にでて百万遍の方に歩いていると、M29800星雲からやって来た宇宙人が福居に声を掛けた。
「コノアタリハガクセイサンガオオクイテ、ニギヤカヤネ」
「でも百万遍を過ぎて東に行くとほとんど人通りがなくなります。そうして銀閣寺道のバス停から銀閣寺を過ぎて哲学の道までは観光客で賑わいます」
「キョウハココニナニシニキタン。タケオカショテンデフルホンヲカウノンカ」
「竹岡書店には一度入ったことがあるのですが、ゆっくりと古書を見て購入を決められるというほどのスペースがなかった気がします。また購入するとしてもネット(日本の古本屋)を利用して安い古書店で購入することになると思います」
「タケオカショテンデジンブンショインノギリシアヒゲキゼンシュウヲカッタンヤロ」
「ええ、この本は岩波文庫で出版されたギリシア悲劇のほとんどが載っていて、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの伝記も載っていて、その上各悲劇の梗概も載っていますから、ギリシア悲劇を読みたいと考える人には有益な本です」
「トコロデマエニアッタトキニギリシアヒゲキヲモトニシタグルックノカゲキノコトヲイウトッタケド、ドナイナッタン」
「「トーリードのイフィジェニア」のことですね。カラスがヒロインを歌っているこのオペラのCDには台本の対訳が付いているので、全体の流れは掴めます。でも前に言っていたイフィジェニア(以下、ギリシア語読みのイピゲネイア)が生贄になったのに生きているという謎については小冊子のあらすじを読んだだけで解けました」
「カミサマガカワイソウトオモッタンカ」
「そうです、アテーネーが長い年月故郷に帰られないオデュッセイアを気の毒に思ったように。女神アルテミスがアガメムノンのやむにやまれぬ事情でイピゲネイアが生贄にされたのを気の毒に思って、トーリードに運んで巫女の長にしたのが物語の初めです。そうして弟のオレステイスが一緒に母親を殺害した従兄弟のビーラデを伴ってやって来ます」
「ハハオヤヲサツガイスルナンテ、ナンカジジョウガアッタンヤロネ」
「そうですが、ここのところをわかりやすく説明するにはミュケーナイ王アガメムノンの弟でスパルタ王メネラオスの妻ヘレネ―がトロイの王子パリスがに誘拐された(ヘレネ―とパリスは惹かれ合っていたとも考えられます)ところまで遡らなければなりません」
「ヘレネーハドナイユットルン」
「例えば映画「トロイ」ではメネラオスは中年太りの精力的な男、パリスを美男子だがか弱い感じの若い男が役を演じていて、他のトロイ戦争関連の映画でもそういう風に無理矢理結婚させられた男とその過去を帳消しにしてくれ明るい未来を期待させる男の対決のようになっています。だからヘレネ―はメネラオスには喧嘩腰で、パリスには秋波を送っている感じです。実際どうだったかは3000年以上前のことですからわかりません。でもそのおかげで想像を逞しくしていろいろな筋を考えられるのです」
「ダカラミンナパリスヲオウエンスルンヤネ」
「判官贔屓のような感じで日本人の多くはパリスに同情するのかもしれません。その後のトロイの悲劇を思うとアガメムノンやメネラオスよりもプリアモス(トロイ王)、アキレウスやパトロクロスよりもヘクトールやパリス、オデュッセウスよりもアエネイアース(トロイ側の武将、トロイ滅亡後、イタリア半島に逃れてローマ建国の祖となる)に肩入れしたくなるんじゃないでしょうか」
「ソウヤネ、ニホンノヒトハソウイウトコロガアルネ。ソレデパリスガヘレネーヲユウカイシテドナイナッタン」
「メネラオスは自分の妻を取り返すために兄のアガメムノンに相談します。そうして2人の王が大船団を率いてトロイに遠征することを決めますが、アガメムノンが女神アルテミスの不興を買った(アルテミスの鹿を射た)ため、風が吹かなくて船を出発させることが出来ず生贄として自分の娘イピゲネイアを捧げるしかないということになります」
「ホンデトウトウイピゲネイアハイケニエニナッタンカ。ホタラアガメムノンノヨメハントカイピゲネイアノオトウトノオレステイスモダマットランカッタンヤロ」
「娘イピゲネイアが殺されたことでアガメムノンの妻クリュタイムネストラが情夫のアイギストスと共謀してトロイ戦争から帰国したばかりのアガメムノンを殺害します。そうして父親を殺されたオレステイスは仇討でクリュタイムネストラとアイギストスを討ち取ります」
「パリス、ヘレネー、メネラオス、アガメムノン、イピゲネイア、クリュタイムネストラ、オレステイスノカンケイハドロドロシトルンヤネ」
「父親の決断でイピゲネイアはアルテミスへの生贄として殺害されますが、イピゲネイアを哀れと思ったアルテミスはイピゲネイアをエウリピデスの「トーリードのイフィジェニー」ではトーリード(『タウリスのイピゲネイア』ではタウリス)へと連れ去ります。トロイ戦争が開戦する前に生贄となったイピゲネイアがグルックのオペラやエウリピデスの悲劇では生きていて、オレステスと再会できたのはアルテミスのお陰と言えます」
「ホンデサイゴハドウナルノン」
「トーリードはスキタイ人の国にありスキタイ人の王トアンテからオレステスか従兄弟のピラーデのどちらかが生贄になるよう追い詰められますが、ピラーデの機転で軍に応援を頼み3人とも助かって幕が下ります。『タリウスのイピゲネイア』は少し筋が違いますが、3人が助かって終幕となるのは同じのようです。エウリピデスの『タリウスのイピゲネイア』と「トーリードのイフィジェニア」のCDの小冊子をじっくり読んでおこうと思います。エウリピデスの『タウリスのイピゲネイア』には女神アテーネーが登場するようですよ」
「ソウナンヤ、デモメガミアルテミスデカイケツデキナクテメガミアテーネーガデテクルノハソウトウハナシガヤヤコシクナッタカラヤロネ」
「そうだと思います」

グルック 歌劇「トーリードのイフィジェニア」あらすじ
予言者の言葉を父親アガメムノンが受け入れて生贄となったイピゲネイア(イフィジェニア)を哀れんだ女神アルテミス(ディアーナ ダイアナ)はトーリード(スキタイ人の神殿がある)にイピゲネイアを運んで巫女の長とした。しかしイピゲネイアは不吉な夢に苛まれて巫女たちの問い掛けも耳に入らず、一族の安否を気遣って心が平穏でない。そこへ父親の仇討をして難を逃れるためにギリシアから来た、オレステイスと従兄弟のビラーデがスキタイ人に捕らえられイピゲネイアのところに連れて来られる。神殿の祭司はオレステイスとピラーデを一緒に助けることはできないと言い、イピゲネイアもどちらかが生贄にならなければならないと言った。オレステイスは母親を殺害した罪悪感から死を強く望んだが、ピラーデは国王となるオレステイスを護るため自分が生贄になると言う。イピゲネイアは最初ふたりに冷たい態度だったが、オレステイスの話を聞いているうち父親アガメムノンの仇討のためにオレステイスが母親を殺害したことがわかりミュケーナイ王国の存続のためにも二人を助けて帰国させなければならないと考える。それでイピゲネイアはオレステイスが弟であるとスキタイ王トアンテに告白して生贄の儀式を拒んだ。オレステイスが拘束されている間にそこから離れたピラーデはギリシア軍と合流して戻りスキタイ人との戦いとなり、トアンテはピラーデに殺される。やがて女神アルテミスが現れて、スキタイ人に生贄の儀式を取り止めるように命じる。またアルテミスはオレステイスに、罪が許されたからミュケーナイに戻って王となりなさい、イピゲネイアに、オレステイスと一緒に国を再建なさいと言って、天に戻って行く。