プチ小説「こんにちは、N先生 108」
私は3ヶ月に一度東京阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでLPレコードコンサートを開催しています。以前は渋谷の名曲喫茶ライオンが午前11時から営業を始めたのでLPレコードコンサートの前に行ってアナログレコードを掛けてもらっていたのですが、コロナ禍後に名曲喫茶ライオンが午後1時からの営業になってからは、LPレコードコンサートが終わって午後4時過ぎに行くことしかできません。また私は翌日に影響しないように、午後6時頃の新幹線で帰阪することにしています。そうしたことがあって私が名曲喫茶ライオンに行く頃にはリクエストが多数入っているので、10分程の曲を掛けてもらえるかどうかになってしまいました。私はクラシック音楽を楽しむためには交響曲も協奏曲もソナタも全曲を通して聞くことが基本なのですが、短い曲しかかけてもらえないのなら、昔吉田秀和氏がNHKのラジオ番組でよくされていたように、例えばブラームスの交響曲第1番の第2楽章の演奏をヘルマン・アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団でとかシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の第2楽章の演奏をシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団でとかという端折った演奏を聞くしかないのかなと思ったりします(昨日の日経新聞に協奏曲の1つの楽章だけを演奏する(しかも2曲も)コンサートの広告が載っていてびっくりしました)。新幹線が東京に着いてすぐに名曲喫茶ライオンに行くことがなくなったので、最近は品川駅構内のカレー屋さんスパイシー・ファクトリーでチキンとキーマのあい盛りカレーを食べてから新宿のディスクユニオンクラシック館に行くようになりました。カレーを食べて山手線外回りのホームに向っていると後ろから、君はアエネイスを読んだようだがという声が聞こえました。N先生でしたが、私はあまりに反応が速いので驚きました。
「N先生、ウェルギリウスの『アエネイス』は新幹線の中でさっき読み終えたばかりです。感想を求められてもまだ混沌とした状態です」
「そうだろうか。よく似た感じの古典を読み終えて1年も経っていないし、それに合わせて整理して行けばいいと思う」
「多分、先生はホメロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』のことを言っておられるのだと思いますが・・・大雑把に言うと『イーリアス』はトロイ戦争のことを詳細に描いたものですが、この英雄叙事詩の主役と言われるアキレウスは物語の終わり頃になって友人のパトロクロスが殺害されトロイ軍の英雄と言われていたヘクトールと戦い打ち負かします。この後友を殺害されて怒り心頭のあまりアキレウスはヘクトールをトロイ軍に引き渡さず遺体に損傷を加えます。このことを悲しんだヘクトールの父でトロイ国王のプリニウスがアキレウスを説得してなんとか遺体を自陣に連れ戻し葬儀を行うといった内容だと思うのですが、敢えて『アエネイス』と照らし合わせるとすると主人公アエネイアースとそれを迎え撃つトゥルヌスとの戦いが第7巻から最後の第12巻まで延々と続きます。『オデュッセイア』でもあったように第11巻で神様のアエネイアースに味方する母親でもあるウェヌス(アフロディテ)、トゥルヌスに味方するユーノー(ヘラ ユピテルの妻)、二人を仲裁するユピテル(ゼウス)の間で話し合いが持たれましたが不調に終わり、アエネイアースとトゥルヌスの戦いが続きます。最終的には勢いがあるアエネイアースの軍がトゥルヌスの軍に勝り一騎打ちでアエネイアースがトゥルヌスを破り、アエネイアースがローマの礎となる土地と民を確保します」
「と言うことは、後半は戦記で『イーリアス』に似た内容と言えるだろう。第1巻から第6巻まではどうだった」
「トロイ戦争でトロイが敗北して城も廃墟となったのでアエネイアースは新天地を求めますが、7年間の漂流後にカルタゴに到着します。ここでも母親ウェヌスが骨を折ったようですが、カルタゴの王女ディドにアエネイアースは助けられます。そうしてアエネイアースはディドと結婚してカルタゴの王となるところだったのですが、アエネイアースは自分にはローマ建国の使命があるとディドの悲嘆も構わずに出航します。女王ディドは悲しみのあまり自ら大切な命を絶ちます。第4巻までがカルタゴでアエネーアースとディドとの間で起きた悲しいお話しですが、第5巻はアエネイアースの父アンキーセスの命日の奉納競技(競漕(ボート)、早駈けくらべ、矢の射くらべ、拳闘など)でそれまでと違ってアエネイアースの部下たちの明るい表情が目に浮かびます。そう言えば『イーリアス』にも競技会はあったように思います」
「そうだね、第23巻にパトロクロスの葬送競技がある。第6巻はどんな内容だった」
「『オデュッセイア』にあったような地下界(霊界)を主人公が訪ねるところです。アエネーアースはここでディドと再会しますが、目的は亡くなった父から今後の方針を訪ねることでした」
「それでアエネーアースの父アンキーセスはどう言っていたのかな」
「多分、ここのところが肝心なところなのでしょうが、自分で充分理解できているとは言えません。泉井久之助訳『アエネイス』だけでなく、ネット検索をするとアルバ・ロンガという場所にイタリア(ローマ)の基礎を築くようアンキーセスはアエネーアースに言ったようですが、アエネイアースが王となるのか、アエネイアースの妻となったラウィニアの息子シルウィウスが王となるのかはっきり言っていません。またこの後ロムルス、カエサル、アウグストゥスが出て来ますが、彼らがどのようなことをするのかというのがよくわかりません」
「『アエネイス』はブロッホの『ウェルギリウスの死』を読むとわかるようにローマの建国について説明してアウグストゥスが正統であることを明らかにするためにアウグストゥスから要請されウェルギリウスが書いたものと考えられる。だからアエネーアースがトゥルヌスと争う後半やディドが登場するところやアエネイアースの父(アンキーセス)の命日の奉納競技はどうしても書きたかったところではなく『アエネイス』の内容を興味深いものにしてたくさんの人に読んでもらおうとしたところと言える」
「ぼくも先生と同じ考えですが、『オデュッセイア』も参考にしたように先生は言われていましたが、それはどのあたりでしょうか」
「オデュッセウスがテレマコスや味方となった召使とともに求婚者たち(アンティノオス、エウリュマコス)を壊滅させるところを参考にして、アエネーアースとトゥルヌスの戦いの場面を書いたと思われる。神さまがついているところとかが似ている」
「確かにアエネイアースには母親でもあるウェヌスが、トゥルヌスにはユーノーがついています。そうしてオデュッセウスにはアテーネーが着いていますが、求婚者たちには神さまがついておられるようには思えません」
「それじゃあ、オデュッセウスがいろいろ考えて難局を逃れイタケーに辿り着くところとアエネイアースがいろいろ考えて仲間たちを導いて行くところとというのはどうかな」
「そうですね、オデュッセウスは策謀に長けているというだけで筋肉隆々で槍と剣で一度にたくさんの人を殺害するということはありませんが、アエネーアースとトゥルヌスは戦いの先頭に立って一度にたくさんの人を殺害するだけでなく、残虐な戦闘もしています。ぼく個人の好みに過ぎないのかもしれませんが、『オデュッセイア』はあまり残酷なところがなく、オデュッセウスが危険な目に遭いながらようやくイタケーに辿り着く前半も妻に言い寄る求婚者たちを退治する後半も面白いので好きですが、『アエネイス』は残酷な戦闘シーン(第9巻に顕著)が多くて『オデュッセイア』ほどワクワクしなかった気がします」
「でもアエネイアースやディドはオデュッセウスやペネロペイアより性格描写が細かいからぼくは好きだなあ」
「ウェルギリウスは紀元前70年の生まれですからその頃は文書の保管が管理されていて本人の書いたことがほぼそのまま残されたと考えられます。一方ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』は紀元前8世紀頃に書かれたと言われていますが、後の人による加筆が見られしかも『イーリアス』『オデュッセイア』は別の人が書いたとか、ホメロスは実在の人物なのかと言われることもあります。他の人が後世の人が楽しめるようにと原作以上に面白くしたのなら、『アエネイス』に勝ち目がないように思います」
「文学は作者の創作意欲の反映だから、いくら面白くても他の人の手が入っているのなら大きな減点になると考える。そう言う意味ではホメロスの英雄叙事詩ほど面白くなくても自分で書いたのが確実な『アエネイス』がもっと賞賛されてもいいと思うな。みんなが楽しめるように手を入れられた『イーリアス』『オデュッセイア』と他のギリシア・ラテン文学を比較するのは公平と言えないからやめた方がいい」
「わかりました。これからは気を付けます」