プチ小説「長い長い夜 15」

その日のすべての授業が終わって、十郎が帰りの支度をしていると山北が洋子と一緒に十郎の席までやって来た。
「多分、無理だと思うけど」
十郎はいきなり山北が無理な話をするのかと思って少し退った。
「そんな、話を聞いてみないとわからないよ。何かぼくにしてほしいことがあるの」
山北は頭を掻きながら言った。
「今度の日曜日の午後9時からNHK教育テレビが白黒映画を放映するんだけど、山根君は見たことある」
「えーっ、ぼくは午後8時にはいつも寝ているよ。二人とも小学生なのにそんなに遅くまで起きているの。それに特に日曜日の夜は遅くまで起きているのは良くないとお父さんが言っているし」
「そう言うと思ったわ。でもとても面白そうな映画だから。それに1937年に作られた白黒映画だから、劇場で見ることは難しいわ。テレビ放映のチャンスを逃すと一生見られないかもしれないわよ」
「そうなんだね。どんな映画なの」
「山根君はレオポルド・ストコフスキーって、知っている」
山根が首を傾げているのを見て山北は言った。
「「ファンタジア」とか「オーケストラの少女」という映画に出ているんだけど知らないかな」
「うん、知らない。でも二人がお勧めならお父さんに遅くまで起きていていいか、訊いてみるよ。でも翌日の授業で居眠りしたら先生に怒られるだろうな」
洋子はにっこり笑って言った。
「それは大丈夫よ。だって翌日は祝日でお休みだから。だからお父さんにどうしても見たいことを伝えればそれでいいのよ」
「でも内容がわからない映画をただ見たいと言うだけではお父さんから許しが出ないかもしれない。どんなところがお勧めなのかな」
「わたしも見たことがないし山北君も同じだわ。だからお父さんの話を伝えるしかないけど」
「ストコフスキーはチャイコフスキーの交響曲第5番の名盤を残していて、「オーケストラの少女」の最後のところで少しだけ演奏しているということを聞いたことがある」
「お父さんによると話の筋は難しいところがあるから、映画の内容がわからなくても2つのシーンを見てほしいと言っていたわ。楽団員が演奏されるのに引き込まれて指揮者役のストコフスキーが指揮をするところとヒロインの女の子がハレルヤ(「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ(エクスルターテ・ユビラーテ)」から)をストコフスキーの前で歌うところが印象に残るって言っていたわ。ストコフスキーの表情も是非見てほしいって」
「そうなんだね、じゃあ、お父さんに訊いてみるよ。お二人ももちろん見るんだね」
「そうよ、強制はしないけど、次に会う時はその映画の話をすると思うわ」
二人の熱心な推薦があったと十郎が父親に話すと父親は、それじゃあ、お父さんも一緒に見させてもらうよと言った。
休み明けに洋子と山北が話しているところに十郎がやって来て、ストコフスキーさんって素敵な指揮者だねと言うと二人は頷いた。
「指揮者だからただ指揮をするだけだと思っていたら、ストコフスキーさんは俳優さんみたいだった。知らないうちに身体が動いてヒロインのお父さんが所属する楽団の指揮を始める。そうしてヒロインの笑顔に魅せられてそのオーケストラの世話をする。真面目にクラシック音楽に関わっている人が見たら、そんなことはあるはずないと言って怒り出すかもしれないけど、ストコフスキーさんはクラシック音楽と娯楽映画を一度に楽しませてくれた。とこれはお父さんが言っていたことだけど、ぼくも同じことを思った」
「わたしもヒロインもだけれど、ストコフスキーさんの演技が良かったと思うわ。ストコフスキーさんのチャイコフスキーの交響曲第5番はお父さんに聞かせてもらったことがあるけれど、他にはどんな名盤があるのかしら」
「ムソルグスキー作曲のピアノ曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲が有名だけど、ぼくはリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」が好きだなあ」
「ねえ、一度、ストコフスキーさんの特集をしましょう。わたしが主催でやってもいいわ」
「ぼくたち、楽しみにしているよ」