プチ小説「長い長い夜 17」

今日は洋子の家でレコードコンサートが開催される日なので、十郎は夕方に一度家に帰り父親が作ってくれていた軽食を食べてから会場へと向った。途中で山北と一緒になったが、山北は洋子から聞いていた今日のコンサートの内容を話した。
「今日は、喜怒哀楽の喜と哀の音楽を中心にということなんだけど、喜の音楽というとどんなのがあるかな」
「やっぱりシュトラウス・ファミリーのワルツとモーツァルトのディヴェルティメント(喜遊曲)をはじめとする明るい曲かな。ヨーゼフ・シュトラウスの曲には「わが人生は愛と喜び」というのがあり、モーツァルトのケッヘル136から138までのディヴェルティメントは喜びに満ちている。誰かに好きな喜びに満ちた曲を教えてと言われたら、クレメンス・クラウス指揮の「わが人生は」とパイアール指揮のモーツァルトの3曲のディヴェルティメントを教えてあげるだろう」
「じゃあ、怒はどんなのがあるかな」
「怒が極まると戦い、戦争となるから、戦争の音楽かな。ぼくは好きではないけど、チャイコフスキーの序曲「1812年」とベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」それからこれは曲のタイトルではないけれど、ベルリオーズのレクイエムの中に「怒りの日」というのがある」
「哀というのは「悲しみ」「悲愴」ということだから、有名な曲がたくさんあるね」
「チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」がとても有名だけど、ぼくはグリーグの2つの悲しい旋律が好きだなあ」
「「胸の痛手」と「過ぎた春」の2曲だね。この2曲は本当に悲しい曲で「過ぎた春」はお葬式で流れることもある。お葬式でまず思い浮かぶのは、ショパンのピアノ・ソナタ第2番の第2楽章だけれど、ベートーヴェンもピアノ・ソナタ第12番「葬送」の第3楽章は葬送行進曲だ。これはぼくの思い込みかもしれないけれど、ショパンの「葬送」は悲痛で悲しみの極地という感じだけれど、ベートーヴェンの「葬送」は最初は悲しいけれど最後は少し希望を抱かせる気がする」
「じゃあ、楽はどうなるのかな」
「喜と楽というのは似た感情で区別しにくい。喜びは何かがあって心が嬉しい気持ちになるもの、楽しみは平素からその人の喜びになっているものという感じかな。楽で最初に思い浮かぶのは、シューベルトの「楽興の時」かな。音楽という言葉を分解すれば音と楽しみだから、楽というのはすべての音楽のことと言えないこともない」
「さあ、丁度、洋子ちゃんの家に着いたけど、お父さんと洋子ちゃんはどんな曲を選んだんだろう。あっ、洋子ちゃん、コンサート前だけどどんな曲がかかるか訊いてもいいかな。とても気になるんだ」
「いいわよ、喜はクライスラーの「愛の喜び」、怒はチャイコフスキーの序曲「1812年」、哀はグリーグの2つの悲しい旋律、クライスラーの「愛の悲しみ」、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、楽はモーツァルトのディベルティメントK136とシューベルトの楽興の時第3番よ。曲の数が多いから、レコード係の私はてんてこまいよ」
「でも曲の数は多いけど、演奏時間が足りない気がする」
「さすが、山北君ね。お父さんはタイトルにはないけどもっと喜怒哀楽が感じられる曲を聞いてもらうと言っていたけど曲名は教えてもらえなかったの」
「そうか・・・でもどんな曲が掛るか楽しみだな」
「そうね、でも私はさらにもう4曲お皿をセットしなくちゃならないわ」

洋子の父親が選曲したのは、喜がモーツァルトのケーゲルシュタット・トリオ、怒がベルリオーズの「怒りの日」、哀がショパンの前奏曲第15番「雨だれ」、楽がヨーゼフ・シュトラウスの「わが人生は愛と喜び」だった。洋子の父親はレコードコンサートの終わりに話した。
「今日はテーマを作って曲を選曲しましたが、曲が多くなって演奏(再生)に時間がかかり遅くなってしまいました。またこういった企画をしたいと思いますが、長大になってみなさまに迷惑が掛からないよう気を付けます」
洋子の父親が笑顔で話すと洋子はその後を続けた。
「でも私はいつもの名曲鑑賞と違って、エピソードと重ねられて良かったと思うわ。クライスラーの「愛の悲しみ」が悲しい曲だと思うと目頭が熱くなるとか」
「そうなんだね、そういう意味でもお父さんからいろいろなエピソードを聞きたいな」
「私もよ。次は心技体の音楽にしたらどうかしら」
「洋子、それは無理だよ。スポーツじゃないんだから」