プチ小説「長い長い夜 18」
十郎は山北と昨日あった喜怒哀楽に因んだ選曲のレコードコンサートのことを話していたら帰るのが遅くなってしまい、学校を出る時に時計を見ると午後5時を回っていた。十郎が学校を出てしばらく歩くと、後ろから奥山先生の声がした。
「山根君、今日は学校で何かしていたの」
「あっ、奥山先生、山北君と話をしていて遅くなりました」
「遅くなりましたって、6時間目の授業が終わって2時間近くもクラシック音楽の話をしていたの」
「まあ、それだけでなくて、テレビの話とかもしました」
奥山先生は少し迷っていたが、十郎が促すと話し始めた。
「少し遅くなるけど、先生の話も聞いてくれるかしら」
「クラリネットの話ですね。いいですよ。でもここで立ち話もなんですから、駅の待合室で話しませんか」
「ええ、いいわよ」
駅舎に入ってベンチに腰掛けると、奥山先生は笑顔で十郎に話し掛けた。
「最近は、ホルストの組曲「惑星」の「木星」を習っているんだけど、美しいメロディなので吹いているのが楽しくて」
「そうですね、洋子ちゃんのお父さんにレコードを聞かせてもらうけど、ぼくもきれいなメロディを聞くと、いつかこの曲を自分で楽器演奏出来たらなぁと思うんです」
「例えば、どんな曲かしら」
「交響曲や協奏曲や管弦楽曲などの編成が大きな曲よりもピアノ、弦楽器、管楽器の小品の曲の方が演奏できそうな気がします」
「ピアノの曲だと何かしら」
「やっぱりベートーヴェンとショパンかな。ベートーヴェンはピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章、ピアノ・ソナタ第15番「田園」の第1楽章かな。ショパンは「別れの曲」「雨だれ」それからあの有名なノクターンかな。それからシューマンの「子供の情景」から「トロイメライ」もいいかな」
「「愛情物語」でタイロン・パワーが弾いていたノクターンね。弦楽器だと何かしら」
「バッハのG線上のアリア、他にはやっぱりクライスラーの曲かなぁ。編曲したものも入れると「愛の悲しみ」「愛の喜び」「美しきロスマリン」「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」「ロンドンデリーの歌」「ユモレスク」かな。それから・・・」
「「ユモレスク」はドヴォルザークのピアノ曲をアレンジしたものね」
「そうです、それから、この前レコードコンサートで「クレモナの栄光」というレコードを聞かせてもらったんですが、チャイコフスキーの「メロディ」、パラディスの「シシリエンヌ」、メンデルスゾーンの「5月のそよ風」はちょっと難しそうだけど、自分で楽器演奏が出来たらいいなと思いました。そうだ、エルマンのジュビリー・アルバムにもいいのがありました。マスネの「タイスの瞑想曲」、シューベルトの「セレナード」も演奏してみたいなと思いました」
「シューベルトの歌曲には「アヴェ・マリア」「春の想い」「菩提樹」のような素敵な曲があるわ。私もクラリネットで演奏出来たら・・・声楽曲ではラフマニノフの「ヴォカリーズ」も好きだわ。管楽器で演奏されるのではどんなのがあるかしら」
「その前に、チェロの名曲ではサン=サーンスの「白鳥」があります。フルートではグルックの「精霊の踊り」、フォーレの「シチリアーナ」、ドビュッシーの「小舟にて」も素敵です」
奥山先生は十郎の話を聞いてやる気が湧き立って来たようだった。少し鼻孔を開いて奥山先生は言った。
「山根君、ありがとう、先生、運指の難しい曲があって限界を感じていたけどまたやる気が湧いて来たわ」
奥山先生が今から私に吹けそうな曲の楽譜を探してみるわと言って切符を買って改札口に向うのを見送ってから、十郎は家路を急いだ。