プチ小説「長い長い夜 19」

十郎は今日も山北と一緒に洋子の家で開催されるレコードコンサートに行く予定にしていたが、その前に少し話したいことがあると山北が言ったので、十郎は急いで家に帰りいつものように父親が作ってくれたおにぎりを頬張ってから山北と合流した。山北によると、レコードコンサートの前に是非昨日映画館で見た映画の話をしたいとのことだった。十郎はその映画のことを前回のレコードコンサートで聞いていたので、山北の話を興味津々で聞いた。たまたま隣町の映画館で「カーネギーホール」というアメリカ映画が上映されることになり、その映画ではクラシック音楽がたっぷり聞けると洋子の父親から聞き、しかも今日のレコードコンサートはその映画に登場するヤッシャ・ハイフェッツ、ブルーノ・ワルター、レオポルド・ストコフスキー、アルトゥール・ルービンシュタイン、グレゴール・ピアティゴルスキーの特集をすると聞いていたからだった。
「名指揮者、名演奏家がたくさん登場するけどどうだった」
「例えばハイフェッツがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を全曲演奏して、ワルターが田園をすべて指揮したのでは映画というより名演奏家の名演の記録になってしまう。だからそれぞれの演奏家が得意とする曲のさわりを紹介している」
「誰がどんな曲を演奏したの」
「一番印象に残ったのはハイフェッツがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(第1楽章)を演奏したところかな。ストコフスキーはいつものようにチャイコフスキーの交響曲第5番(第2楽章)を演奏していた。ピアティゴルスキーは6人のハープ伴奏でサン=サーンスの「白鳥」を演奏していた」
「ワルターは何を指揮したの」
「ワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」序曲だったかな。それからルービンシュタインはショパンの「英雄ポロネーズ」とファリャの「火祭りの踊り」だった。売っていたパンフレットに書いてあった」
「他に印象に残った演奏はなかった」
「他にはリリー・ポンスというソプラノ歌手がドリーブの「ラクメ」から「鐘の歌」若いインドの娘はどこへ~という曲を歌っていたが、この曲はずっと前にモーリス・アンドレがオペラの名曲をトランペットで演奏しているレコードを洋子ちゃんのお父さんに聞かせてもらったから、映画の中で特に印象に残った」
「そんなに名曲ばかりだと見た後はすごい感動したんじゃないの」
「いや、やっぱり、クラシックの名曲を映画に入れ込むのは難しい。カーネギーホールの場合、名演奏家、名指揮者が名演のさわり(といっても曲の最後の盛り上がるところばかりだけれど)が映画の筋に大きく影響することはない。ルービンシュタインがヒロインの息子にバッハを練習しろと言われたのに反発したのか、その後クラシックからジャズに転向するくらいなんだ。ヒロインは清掃婦としてカーネギーホールで働いていてクラシックの音楽家と親しくなり結婚するが、この夫となった人は指揮者とうまくいかなくてジャズに興味を持ったが行き詰って・・・残された子供をクラシックの名演奏家にさせることを自分の使命と思い、カーネギーホールの事務員として働き息子にクラシック音楽を聞かせるが、息子はなじめなかったのか、ルービンシュタインのアドバイスが気に入らなかったのかジャズへと走ってしまう」
「じゃあ、「オーケストラの少女」に似てあまりクラシック音楽好きの人が楽しめる映画じゃないのかな」
「名演奏家の演奏を聞くのは楽しい。でもこの映画はクラシック音楽よりジャズを賛美した映画のようにも思える。これから洋子ちゃんのお父さんに会うけれど、ぼくの思ったことがまともなのか尋ねてみようかと思うんだ」

その日のレコードコンサートでは、ハイフェッツのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(指揮フリッツ・ライナー)、ルービンシュタインのショパンのピアノ協奏曲第1番、ストコフスキー指揮のチャイコフスキー交響曲第5番、ワルター指揮のモーツァルト交響曲第41番「ジュピター」、ピアティゴルスキーのサン=サーンス「白鳥」、モーリス・アンドレのドリーブ「鐘の歌」(歌劇「ラクメ」から)のレコードが掛けられた。レコードコンサートがすべて終わると山北は洋子の父親に話し掛けた。
「ぼく、「カーネギーホール」を見て来たんです。名演奏家、名指揮者がたくさん出ていてそれは満足したんですが、ストーリーが物足りなくて」
「ははは、山北君はそう思ったんだ」
「おじさんは違ったんですか」
「まあ、どこを楽しむかは人それぞれでね。ぼくは名演奏家の演技を楽しんだ。ハイフェッツの人柄、演奏は一番良かったけど、ストコフスキーの熱演も凄かったしワルターは誠実な人柄そのままだった。ルービンシュタインは憎まれ役を楽しんで演じていたしピアティゴルスキーが豪華な伴奏で楽しそうに「白鳥」を演奏していた。ぼくは、リリー・ポンスの歌声も好きだ。おそらくモーリス・アンドレもこのあまり知られていない曲をレコードに録音したのはこの映画を見たからだと思う」
「ぼくも演奏は楽しんだんですが、父親が果たせなかった夢を息子に託したヒロインは息子がコーラスガールに魅惑されたためジャズに方向転換してしまい、辛い日々を送るようになります。最後はヒロインと息子は仲直りしますが、ヒロインは夫を失いますし気の毒すぎます」
「この映画は古い昔の音楽であるクラシック音楽対新しいこれからの音楽ジャズ、それぞれのよいところを紹介した映画と言える。またクラシック音楽でうまくいかなくても別の道もあるという希望を抱かせるところもある。息子が挫折してジャズに走るのではなくコーラスガールに惹かれてジャズとクラシックの融合を試みるというのも何か大雑把で大国アメリカらしい。小さいことに拘らずとにかく夢を持とうというメッセージが込められている映画だとぼくは思うけど、他の意見もあっていい。映画をどのように見るかはその人の自由だから。そうそう忘れないうちに行っておくと、ヒロインの夫となった男優さんは前に「未完成交響楽」でシューベルトを演じた人だ。「未完成交響楽」も心に残る映画だから、大きくなってから見るといい」
「お父さん、私、その映画見たけれど、シューベルトが可哀そうで。でも心に残るからいい映画なんだろうな。「カーネギーホール」も「オーケストラの少女」もたまに見て、辛いことがあっても頑張ろうと思ったらそれでいいのよ。ほっこりするだけで」