プチ小説「長い長い夜 20」
十郎は帰り道で山北とクラシック音楽の話をするのを楽しみにしていた。いつも話が盛り上がり家の前で30分も1時間も話し込んでしまうので、途中の国鉄の駅の待合で1時間ほど話をして帰宅するようにしていた。そうするとだいたい十郎の父親が帰宅する時間と一緒になるので父親がそのことを咎めることはなかった。
今日も二人が校門を出るとすぐにクラシック音楽の話になった。
「山北君の好きな指揮者は誰かな」
「ぼくが最初に聞いた指揮者がカラヤンだからずっと聞いているしこれからも聞くだろう。現役の指揮者で同じくらい有名な指揮者にベームという人がいるけど音楽評論家の中にはあまり好きじゃないという人がいるようで、ぼくもそれに影響されてあまり聞かない。逆にフルトヴェングラーという指揮者は1954年に亡くなったんだけれど今でもファンがたくさんいて戦前のレコードによくある雨の音ザーザーでも我慢して聞く人がいるようだ。フルトヴェングラーはカラヤンと同じようにドイツやオーストリアを中心に活躍した人だけど、オーケストラは世界中にあるからそれぞれの土地で頑張っている指揮者がいる」
「ドイツにもたくさんいるんでしょ」
「でもそれよりフルトヴェングラーと同じ頃から1970年くらいまで活躍した指揮者がたくさんいるからそちらから先に行こう。まずあげられるのはワルターとストコフスキーとオーマンディとセルかな」
「ワルターはコロンビア交響楽団、ストコフスキーとオーマンディはフィラデルフィア管弦楽団、セルはクリーヴランド管弦楽団でいずれもアメリカのオーケストラを中心に活躍したね。やっぱり戦後はヨーロッパよりアメリカのオーケストラの方が勢いがあるような気がするけど、ヨーロッパの他のオーケストラはどこがいいのかな」
「それぞれ得意な音楽があるから聞く人の好みによる。フランス音楽が好きならフランスのオーケストラ、イタリア・オペラが好きならイタリアの歌劇場の管弦楽団ということになるが、コヴェントガーデンに歌劇場もあるしイギリスのロンドンがアメリカの次に名オーケストラがあって名指揮者が集うところと言えるだろう」
「どんなオーケストラがあるの」
「ロンドン交響楽団とフィルハーモニア管弦楽団でロンドン交響楽団はいろいろな指揮者が指揮しているけど、フィルハーモニー管弦楽団は1960年代クレンペラーが指揮してたくさんの名盤を残している。ぼくはイタリア・オペラを余り知らないから、セラフィンとアバドくらいしか知らない。フランスはパリ音楽院管弦楽団とパリ管弦楽団が有名で指揮者はミュンシュかな」
「ミュンシュはその前にボストン管弦楽団で長く指揮していた。アメリカを中心に活躍する指揮者としてあとバーンスタインとマゼールがいるけど洋子ちゃんのお父さんはほとんど聞かないようだ。今まで出て来なかった指揮者でお父さんが好きなのがジャン・フランソワ・パイヤールが長年率いているフランスのパイヤール管弦楽団とイギリスのバルビローリ指揮ハレ管弦楽団かな」
「ドイツにはリヒターという指揮者がいるね」
「うん、彼がミュンヘン・バッハ管弦楽団を指揮してバッハの名曲を録音しているけど、他はモーツァルトを少し演奏するくらいかな。でもバッハの演奏はすべて名演だし彼のバッハのオルガン曲の演奏もすばらしいらしい」
「他には何かない」
「とにかくフルトヴェングラーが日本で人気があるのは宇野功芳さんと志鳥栄八郎さんが盛んに彼の遺産を賛美したからと言えると洋子ちゃんのお父さんが言っていた。カラヤン、オーマンディ―、ストコフスキーなどを賛美する音楽評論家さんもいるし、レコード誌上で音楽評論家の人たちは他の優秀な音楽家たちを褒め称えている。今、クラシック音楽の人気がある原因はラジオでよく放送されるということが一番だけれど、月刊誌、名演・名盤を讃える新書、名盤カタログも大きな役割を担っている。何年後かには音楽は多様化していきクラシック音楽はマイナーになって行くだろうし讃える人もいなくなるから聞ける時にラジオを聞き本を読んで音楽評論家の評価をよく覚えておくことだと言っていた。手放さない限り買ったものは残るから気に入ったものは買って残しておきなさいと言っていた」
「でも今のぼくたちは小学生だから、難しい本は読めないし、親にねだってレコードを買ってもらったとしてもステレオがない。それまではせいぜい洋子ちゃんのお父さんからステレオを聞かせてもらったり、本を貸してもらったりするしかないね」
「本当にクラシック音楽を聞かせてくれるだけでなくためになる話を提供してくれる洋子ちゃんのお父さんには感謝しないと。でも残せるものは自分の手元に置いておきたいね」
「ほんとだね」