プチ小説「長い長い夜 22」
十郎は昨日の帰りにショパン弾き(ショパンの曲を弾くのが得意な演奏家)を山北に紹介してもらったので、今日はベートーヴェンの名演奏家を紹介してもらおうと思った。小学校を出てしばらく歩くと山北と洋子が次のレコードコンサートの打ち合わせをしながら歩いていた。
「お父さんは次回はベートーヴェンの余り知られていないピアノの曲の名演を特集しようと言っていたわ」
「そうなるとぼくがまず思い浮かべるのは、ベネデッティ=ミケランジェリのピアノ・ソナタ第4番とピアノ・ソナタ第32番だな。ベネデッティ=ミケランジェリは指揮者のカルロス・クライバーに似たところがあって何かの理由でコンサートをキャンセルすることが多かったみたいだ。きっと体調が悪くてすばらしい演奏ができないと思った時に休んだと思うけど世紀の名演を聞き逃した人たちは残念がったに違いない」
「私はグルダのピアノ・ソナタ全集のレコードが好きだわ。特に第15番「田園」、第23番「熱情」、第32番は何度も何度も聞いているわ」
「ぼくもグルダの第15番「田園」は誰の演奏より優れていると思う。三大ソナタではやっぱりホロヴィッツがすばらしい演奏だと思う」
「私は第23番「熱情」ケンプが好きだわ。ケンプは第17番「テンペスト」、第26番「告別」それから最後の3つのピアノ・ソナタもすばらしいと思うわ。バックハウスは第21番「ワルトシュタイン」がいいわ」
「ぼくは第21番「ワルトシュタイン」はブレンデルが好きだなあ。第8番「悲愴」は誰の演奏がいい」
「私はゼルキンがいいわ。第14番「月光」はやっぱりグルダが好きだわ。山根さんは誰の演奏が好きなの」
「リヒテルの第23番「熱情」かなあ」
「私もリヒテルの力がこもった演奏好きだわ。B面の第12番「葬送行進曲付き」は悲しい曲だけれどリヒテルの演奏は悲しみを乗り越えて明日から頑張ろうという気持ちにさせるすばらしい演奏だわ。ねえ、ソナタ以外の曲の名演奏はどんなのがある」
「まずはやはりピアノ協奏曲になる。順番にあげて行くと第1番はリヒテル、第3番はケンプとバックハウス、第4番はポリーニとケンプとバックハウス、第5番はバックハウスかなあ」
「あとはピアノと管楽器のための五重奏曲があってモーツァルトの同曲と一緒に録音されているけどどのレコードが好きかしら」
「ギーゼキングが好きだけど、ヘブラーもいいね。ピアノ三重奏曲「大公」は誰の演奏がいい。洋子ちゃんは誰かな」
「私は古い演奏だけど、コルトーが好きよ。それからケンプも。山根さんは誰が好きかしら」
「アシュケナージかなあ。共演しているパールマンとはヴァイオリン・ソナタでも共演している。彼らの演奏はぼくを元気にしてくれる」
「ヴァイオリン・ソナタはヴァイオリニストが主役だけれどピアニストの重要なレパートリーだと思う。チェロ・ソナタも。ぼくはヴァイオリン・ソナタはオイストラフとオボーリンのレコード、チェロ・ソナタはカザルスとゼルキンかな」
「私はチェロ・ソナタ第1番と第2番だけならフルニエとケンプが好きだわ。ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と第9番「クロイツェル」はたくさん名盤があるけれど私はコルトーが好きだから、ティボーと共演したのが好きだわ」
「ぼくはホロヴィッツがモイセイヴィッチと共演した超高速演奏が好きだな。まるで「運命」の演奏を29分台で疾走させるような爽快感があるからね」
「その表現だとどんなに速いのか聞いてみたくなるわ。お父さんに頼んで聞かせてもらうわ。アラウというピアニストがいるけれど彼の名盤は何かしら」
「彼はいろんな作曲家のいろんな楽曲を録音していてぼくはショパンも良いと思うけれど、彼の名盤は何と言っても、シェリング、シュタルケルと共演してインバルが指揮したピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲(トリプル・コンチェルト)だろう。この作品をベートーヴェンの駄作と言う人がいるけどこの演奏を聞くとどこが駄作なのと思わせる。チェロが活躍する曲なのでシュタルケルが中心となってこの曲の良さを引き出したのだと思う。アラウもいい演奏をしていると思う」
「そうなのね、じゃあ、この曲も聞こうかしら」