プチ小説「たこちゃんの花火」
ファイアーワークス フエゴス・アルティフィシアレス フォイヤーヴェルクス というのは打ち上げ花火のことだけれど、ぼくは最初の打ち上げ花火の観賞の記憶は小学校低学年の頃のものなんだ。吹田市内の国鉄の木造官舎の坂道の途中(その坂道は舗装されていたが官舎の人の自転車の行き来くらいしかなかった)で30分ほど見ていた記憶がある。その花火大会は水都祭と呼ばれていて淀川の河川敷で花火を打ちあげていたと思うが、直線距離で10キロ以上離れていたのでドンという打ち上げの音は小さいが、花火の美しさは充分観賞できた。中学2年生の時に富士山方面に家族旅行をした時に河口湖の花火大会を近くで見ることになったが、最初の花火が上がるとその大音響に驚き狼狽えたぼくは家族とはぐれた。宿泊していた民宿名を覚えていたので帰ることはできたが、その場から逃げ出すことばかりを考えていたので、花火がどんなだったか覚えていない。家族もぼくがいなくなったので早々と切り上げて宿に戻って来た。風船の破裂音を始め、爆竹、クラッカー、ねずみ花火、銃声などが苦手なぼくが耳栓を用意しないで頭上で大きな花火が大音量で炸裂する花火大会に行ったのは、無謀だったと言えるかもしれない。それでも社会人になると爆発音にも徐々に慣れたためか、天神祭りの花火大会を見に行くようになった。梅田32番街の高所から天神祭りの花火大会を見下ろした?記憶があるが、やはり花火は地上から見上げる方がいいなと思ったものだった。それから2、3年して高校時代に写真部だったぼくは淀川花火大会を写そうと当時使っていたオリンパスOM1で何枚か打ち上げ花火を撮影した。この時は32枚撮り2本撮影したのにこの写真の他はあまり良い写真が撮られなかった。それでそれからしばらくは花火の撮影はしなかったが、今から6年前にライカM9で撮影すればきれいな写真が撮れるのではと思い、茨木辯天花火大会となにわ淀川花火大会を撮影したところすばらしい写真が写せた。それで翌年も撮ろうと思っていたところ、コロナ禍で2年間花火大会は開催されなかった。2022年に開催された淀川花火大会はコロナ禍前と同様に淀川の河川敷からの撮影が可能だったが、この頃から堤防に無賃観賞防止?のための塀の設置工事がされるようになって、ぼくのように河川敷から花火を観賞することはほぼできなくなって有料観覧席からしか鑑賞できなくなった。9月21日に開催される枚方の花火大会(水都くらわんか花火大会)では1万円のカメラ席があるようだが、頭上で大音量で炸裂する花火を遠くから落ち着いて撮影するのと同じように撮影できる自信がないので予約する決心がつかない。それより今は観賞者は指定席を予約してスマホなどで撮影し、三脚を立ててカメラをそこに乗せレリーズでシャッターを切る人はプロの人だけになったんだと諦めて、他の被写体、例えば京都五山の送り火を撮影にするようにすれば撮影する場所を探してうろうろすることの必要もなくなってすっきりするのではないかと思う。相変わらず阪急駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシーの運転手は夜間に写真撮影をしたことがあるのだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス。ムチョ メ アラガ トゥ プロプエスタ」「ぼくは別に鼻田さんに申し出をしているのではないですが」「なにゆうてるん、久しぶりにわしを登場させてくれたんやから、頼みたいことがあるんやろ。どんどんどしどし言ったって」「それなら淀川の花火大会が以前と同様に写せるところはありますか」「そら無理やわ。それに写真撮影を禁止するために塀を築いたと考えると無理矢理撮影しようとするのは掟破りのような気がするから、やらんほうがええんとちゃう。写真撮影の予約席を用意してくれているんやったらそれを利用するほうがええと思うよ」「でも大音量の爆発音が私は苦手で、頭上で画角いっぱいに広がる花火には興味が持てないんです」「わしは郷に入れば郷に従えというのは正しいと思う。抜け道を探して時間を浪費するより、アカンと言われたら諦めるか、他の花火大会で何が出来るかを調べる方がええ。全国のあちこちで花火大会をしているし、もしかしたら船場はんが思うような撮影ができるスポットがあるかもしれん。その方が発展的で後腐れがないと思うでぇ」「そうですね、久しぶりに鼻田さんのお話を聞いて心が洗われました」「そうかそんならついでにうさぎ跳びとリアカーごっこもして帰り」「そうですね、鼻田さんもそれができるよういつまでも元気でいてください」「わしはあんたの心の中の住人やから、あんたがへこたれん限りは不死身やで」