プチ小説「インパチェンスの花が咲く頃に 4」
「ねえねえ、お母さん、この花何ていう名前なの。紫色の可憐な花が鈴なりに咲いていて素敵だわ」
「そうね、私もこのお花が好きなんだけど名前がわからないの」
「私、お母さんは花の名を全部知っていると思っていたのに」
「ごめんなさい。あなたの期待に応えられなくて」
「ううん、私も知らないものがたくさんあるから、お母さんもわからないものがあるのは承知よ」
「このお花も花屋さんで買ったものだけど、買う時に名前を教えてもらわなかったからわからないの。買う時に聞きそびれて
いつの間にかこの花を売ってくれた店員さんがやめてしまったの。それでわからないんだけれど、何とか知ることができる方法ってないかしら」
「植物園の人に見てもらったら、わかるかもしれないわ」
「でも花のところを切って持って行くのはかわいそうだわ」
「じゃあ、どうするの」
「写真を写して見てもらえば、それでも十分わかると思うわ」
「最近はデジカメがあるから便利ね」
「お母さんが子供の頃は手軽に写真を撮られなかった。フィルムを購入してカメラにフィルムを装填して露出とシャッタースピードも決めないときれいな写真が撮られなかった」
「ピント合わせも必要だわ。ピントを合わせるのも慣れないと上手くできないでしょ」
「そうね、ピントが合っていなくてガッカリすることも多かった。最近のデジカメは一度シャッターを軽く押さえれば
ファインダーを覗かなくても、ピント調整をしてくれるけど、昔はファインダーを見て合わさないといけなかった。
こんな小さなカメラでもきれいな写真が簡単に撮れるわ」
「今はきちんと撮れているかすぐに確認できるから便利ね」
「そう、私、ハーフサイズの銀板カメラを使い始めた頃、フィルムをきちんと装填しなかったから空回りしていて写真が写っていないということがあったの。せっかく写した写真がダメだったというのは悲しいことだわ。いい旅行だったことをその写真を見る度に思い出せたのにそれがないなんて」
「昔の写真はお店にフィルム現像とプリントの印刷をおねがいしないといけなかったんでしょ」
「そう、それに出来上がるまで時間がかかったわ。出来上がったのを焼き増ししたり、大きく伸ばしたりもした。プリントした方が色がきれいな時もあったけれど、今はペーパーレスの時代だからフィルムを持ち歩くんではなくて、USBメモリやCDRなどの記憶媒体を持ち歩いている」
「スマホは写真機能が付いているから、記憶媒体も不要よ」
「デジタルで録音した音のファイルは画像ファイルと同じで優劣や容量の違いだけで昔のオーディオ装置のように組み合わせによって独自の世界が構築できるということがないみたい」
「だから、CDプレーヤーをアナログプレーヤーに変えたり、デジタルカメラを銀板カメラに変えたりするのね。でもそれだけを変えるだけではだめなんでしょ」
「隣のおじさんが言っていたことだけれど、音の場合は針、アンプ、アナログプレーヤー、スピーカーの組み合わせ次第だそうよ。それから銀板カメラは一眼レフで広角レンズと望遠レンズそれから三脚はあった方がいいみたいよ」
「首にかけてズームレンズで撮るのではだめなの」
「シャッタースピードが30分の1より遅いと手振れをするから重たいズームレンズはダメみたい。それに銀板カメラはASA400くらいだから、・・・やっぱり、速いシャッターを切られないから三脚は絶対に必要だわ」
「なんかそんなことを聞くと面倒くさくなってきたわ」
「そう、それも必要なことだわ。面倒くさがらないこと。昔そういう趣味を持っていた人たちは面倒くさがらずに、自分の趣味に没頭していたのよ。
カメラやレンズがいっぱい入った50キロ位のカバンをかついで一日中ロケ地を歩いたり、自分のお目当てのレコードを見つけるために一日中レコード店の梯子をしていた」
「そうしていいものを手に入れることができたのかしら」
「もちろん幸運にも手に入れることもあっただろうけれど、ほとんどの場合は過程を楽しむことだけで満足したみたいよ」
「過程を楽しむってどういうこと」
「手に入れるためにはあちこち出掛けていろんな人の話を聞いたりする。そうすると出掛けた土地で思いがけない人に会ったりする。それから話しの中でさらに面白そうな楽しみが浮かび上がって来る。そっちの楽しみの方が目的とするものを手に入れることより楽しいと考える人もたくさんいるわ。お母さんもそっちの方だわ」
「私、よくわからないけれど、お母さんがそういうのなら、たまには寄り道をしようかな」
「いいわよ、でも学校からはまっすぐ帰ってね」
「はーい」