プチ小説「長い長い夜 24」
十郎は学校の帰りに山北から学校の話題や洋子の家で開催されるレコードコンサートのことや洋子のお父さんが山北に話したことを聞くのは楽しかったが、山北の話に時々登場する録田さんの話はさらに興味深かった。録田さんは5年前に役場を定年退職したが、定年後の趣味はFM放送をエアチェックすることで、主に録るのはNHKFMのクラシック番組だが、民放のFM放送のクラシック番組それからNHKFMのジャズ、ポップスの番組も録音するとのことだった。録田さんは定年後に録音を始めたが録音したカセットテープは100巻以上になり音質もなかなか良いとのことだった。録田さんはカセットテープを貸してくれないが、聞かせてほしいと頼めば自宅のステレオで聞かせてくれるとのことだった。山北は何度も録田さんの家に出掛けたが、ミュンシュ指揮パリ管弦楽団のブラームス交響曲第1番、セル指揮クリーヴランド管弦楽団のシューマン交響曲第3番「ライン」、ストコフスキー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団のチャイコフスキー交響曲第5番、バルビローリ指揮ハレ管弦楽団のシベリウス交響曲第2番、マーク指揮ロンドン交響楽団のメンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」は録田さんも山北も好きでよく一緒に聞くとのことだった。エアチェックは電波の状態が悪いと観賞には向かないが状態が良いと元々(放送局)のオーディオ機器が良いものなので録田さんの家のステレオで聞くとそこそこいい音で聞けるとのことだった。録田さんの持論は何も録音時の音を忠実に再生する高級オーディオ装置でオリジナルのアナログレコードを聞くのが一番いい音とは限らない、エアチェックは電波が飛んでくる間に音がいい具合にまろやかになってさらに録田さんの家のオーディオ装置で録音することによって味わい深い音に変換されるから自分では最高の音だと思っておられるとのことだった。十郎は洋子のお父さんにアナログレコードの名盤を聞かせてもらっているが、時には打楽器の音が少し気になることがあるので、まろやかでいい音を一度聞いてみたいと思っていた。山北が録田さんにカセットテープを聞かせてもらったと聞いたので、弦楽器もいい音がするのと尋ねた。
「そりゃー、洋子ちゃんちのステレオには及ばないけれど慣れればいい音だよ。特にオイストラフ、リヒテルなんかはもとが際立った音だから丁度いいのかもしれない。オイストラフのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、リヒテルのベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」なんかは特にそうなんだ。そうそうロジンスキーのショスタコーヴィッチ交響曲第5番「革命」もまろやかになっていて丁度いい感じになっている」
「それじゃあ、交響曲第7番「レニングラード」も聞けるかもしれないね」
「それは無理だと思う。「レニングラードは日本盤はないんじゃないのかな。スヴェトラーノフ盤に入っているのは知っているけれど。ぼくはどちらかというと好きじゃないから。どうでもいいよ。洋子ちゃんのお父さんも持っていないし」
「エルマン、リッチ、ミルシテイン、グリュミオー、ハイフェッツなんかのカセットテープはあるの」
「グリュミオーのモーツァルトの協奏曲やソナタはあるみたいだよ。それからハイフェッツは4大ヴァイオリン協奏曲(ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、チャイコフスキー)の他にシベリウスやブルッフ(第1番)も持っているみたいだよ」
「ピアノはどうなの」
「ケンプやバックハウスを録音したいけれどなかなか流れない。それでブレンデル、ベネデェッティ=ミケランジェリ、アシュケナージを録音したと言っていた。それから録田さんはクラリネットの音が好きでクラリネットの名曲5曲(モーツァルトのクラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲、ブラームスのクラリネット五重奏曲とクラリネット・ソナタ第1番、第2番)をいろんな演奏を録音している。ウラッハ、ド=ペイエ、ライスターなんかがあるよ」
「ねえ、ぼくも録田さんのカセットテープが聞きたい。連れて行ってくれないかな」
「いいよ、いつがいい。それから何が聞きたい」
「土曜日がいいな。演奏家はフルニエがいいな。ドヴォルザークの協奏曲とベートーヴェンのソナタ第1番と第2番、それからムーアと録音した小品集がいいな」
「ドヴォルザークは録田さんに聞かせてもらったけど。ベートーヴェンのチェロ・ソナタとムーアと共演した小品集は洋子ちゃんちしかないんじゃないかな。わかった、録田さんに頼んでおくよ」