プチ小説「青春の光 121」

「は、橋本さん、前回クラリネットの話を終えましたから、今回はLPレコードコンサートのことを話すのですね」
「その前に船場君とレコードのかかわりを最初から話した方がいい。そうすれば船場君は最初はクラシック・ファンではなかったということがよくわかる。だがあまり深くかかわらずにいよう」
「でも最初の出会いはきっちりした方がいいと思います」
「船場君によると、船場君が小学2年生の時、お父上の12月のボーナスで東芝の赤いポータブルレコードプレーアーを購入した。それで両親は船場君と1つ年下の弟にドーナツ盤を一枚買ってあげようと言われたらしい。それで船場君は黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」、弟君は鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」を買ってもらった。そうしてその2枚のドーナツ盤を白くなるまで聞きこんでいたら立派な演歌歌手になっていたかもしれない。ところが翌年の夏にお父上の故郷に行った時に「星影のワルツ」「真赤な太陽」「ブルー・シャトウ」「霧の摩周湖」「虹色の湖」「天使の誘惑」の他10枚ほどのドーナツ盤をもらい持って帰ったが、すべての歌詞を覚えきれずに演歌歌手になることは断念したらしい」
「そうなんですか。それでクラシック音楽のファンになったのですか」
「いやそこに行き着くまでにはまだまだだ。船場君が小学校低学年の頃に歌謡曲に夢中になったのは両親と「夜のヒットスタジオ」を見ていたからのようだが、小学校中学年になるとアニメばかり見るようになり歌謡曲に興味がなくなったようだ。船場君が再び歌に興味を持つのは中学2年生の頃にかぐや姫の「神田川」を聞いてからだが、中学、高校は日本のフォークソング、外国のポップスを暇があれば聞いていた」
「船場さんはかぐや姫やナターシャセブンの歌を暗記して歌いながら勉強をしていたんですね」
「そうそれだから高校時代の成績は最低だった。それは若気の至りと言うべきか独善と言うか人生を諦めたというか、数学が全然理解できないことに劣等感を持って何もしないでフォークソングばかりを聞いていたからだった。決してフォークソングというものは悪いのではないが、船場君にとっては有難い避難場になったわけだ。そうして高校生活を棒に振って3年間浪人したのだが、高校を卒業してすぐにこのままフォークソングを聞いていては良くないということに気づき、クラシックかジャズのインスト曲をBGMにして受験勉強をしようと考えた。そうして船場君はジャズに比べて長くて落ち着いて聞けるクラシックを選んだ」
「結果が出るまで3年かかったのですね」
「そりゃーいちからだったからね。3年間の浪人のことは詳しく言わないが浪人2年目の成人式の日ににようやく予備校に行かないと埒が明かないということに気付いて駿台予備学校昼私文コースに入ることができ翌年には大学に入ることもできたのだった」
「クラシック音楽をずっと聞こうと思った出来事があったのですね」
「そうなんだ。彼が浪人生活に入ってすぐにFM大阪の土曜朝7時からのクラシック番組でシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団のブラームスの交響曲第1番を聞いてそれまでにないような感動をした。他の音楽で感動したことがなかった船場君はその時にクラシック音楽で初めてのその体験をしたわけだ。そうしてミュンシュという指揮者のレコードを買い漁り、同時にNHKFMのクラシック音楽の放送をエアチェックするようになった。セル、クレンペラー、ワルター等の指揮者のファンになり、クラシックはオーケストラだけでなく、室内楽や独奏にも魅力的な曲があるのを知った。多分、1年間の浪人生活で終わっていたら、FM放送でたくさんの興味深いクラシック音楽を聞くことはできなかっただろう」
「そうしてクラシックをBGMにして勉強は捗り、3年かかりましたが大学に入ることが出来ました。大学4年間は遊べなかったようですが、クラシック音楽を聞きながら英語、ドイツ語、スペイン語の勉強するのは楽しかったようです。一般教育科目や専門科目はあまりうまく行かなかったようですが、語学の予習は捗ったと言われてました。船場さんはそういうことがあったからか、卒業後もリンガフォンで英語とスペイン語を学習しましたが、あまり身に着かなかったようです」
「まあ医療機関の仕事だから語学は使わないだろう。ストレスが多くて時にはやめたくなったが、なんとか37年間働くことができたのはクラシックでストレスを発散できたからだろう」
「船場さんは2002年からLPレコードコンサートを始めましたが、そのあたりの経緯は次回に知っていることを話します」
「わしもそうするとしよう」