プチ小説「青春の光 122」
「は、橋本さん、船場さんがLPレコードコンサートを始めたのは2002年からですが、それまでにいろいろあったんでしたね」
「そうだ、まずはLPレコードコンサートを開催するためにはアナログレコードを購入しないといけない。だから始まりは船場君がレコードマップ’92をその10年前に購入したことから始まる。それまで船場君は給料が支給されると大阪堂島にあったワルツ堂に行っていた。人が手にしたレコードに抵抗があり新品しか購入せずキズものだから低価格という先入観を持っていたが、関西(大阪京都神戸)の中古レコード店を回って価格が安いこと外国盤の音の良さに気付いたらしい。そうして冬のボーナスが出たら夜行バスで東京まで往復して中古レコード店と名曲喫茶ライオンに行こうと決心した」
「大阪からの夜行バスが午前6時過ぎに着いたので中古レコード店が開店する午前10時まで時間を潰すのに苦労したようです。今から30年前だから早朝から営業しているファストフード店や喫茶店はなかった。それで仕方がないから新宿駅構内をうろうろして時間をつぶされたようです」
「そうして数軒中古レコード店を回り最後に名曲喫茶ライオンに行ったようだが、船場君はそのスピーカーの物凄さに圧倒された」
「大きさだけでなく、その音にも魅せられ定期的に夜行バスで東京に行って中古レコード店巡りと名曲喫茶巡りをすることを決められたようです。中野の名曲喫茶クラシックにも行かれ、ティボーとコルトーのフランクのヴァイオリン・ソナタのリクエストをして掛けてもらわれたようです。そうして定期的に名曲喫茶ライオンに行っていたところ、名曲喫茶ヴィオロンとの出会いがあったのですね」
「そうなんだ、船場君は当時音楽に関する情報誌をしばしば本屋で立ち読みしていたが、サウンド・パル1997年2月号を見ていて名曲喫茶ヴィオロンの記事を見つけた。それで名曲喫茶ヴィオロンに行くことにしたのだが、なぜか2回休みの日に行ってしまい、3回目にようやく入店できマスターと話すことが出来た。当時は今ほどお客さんが多くなかったので、持参したレコードを何枚か掛けてもらった。開店してすぐに入店して閉店近くまでいて夜行バスで帰っていたようだ」
「そうして名曲喫茶ヴィオロンで自分で持参したレコードを聞いているうちに自分でも何かやってみたいと思われたのですね」
「船場君はマスターに、自分の気に入ったレコードを掛けるコンサートを実施したいと言ったところ、マスターは、チャージ料金をもらいチラシを作成して自分で解説するならやってもらっていいと言われたらしい。それで2ヶ月前にチラシを作成して2002年4月に第1回を開催することになった」
「どれくらいの人が来られたのですか」
「最初は5人の方が来られたが、第2回がクラリネットのウラッハの特集で3人しか来られなかった。さすがに船場君も責任を感じて、LPレコードコンサートは今回で終わりですねとマスターに言ったらしい」
「それでマスターはどう言われたのですか」
「笑顔で続けましょうと言われたらしい。それで紆余曲折はあったが、今尚続いている」
「確かに紆余曲折がありました。チャージ料を取らなくなったり、年に6回していたのが4回になったり、2019年3月のLPレコードコンサートが中止になり2023年6月に復活するまで3年余りコロナ禍で自粛しました。それまで4時間以上の時間を掛けていたのが2時間となりました。船場さんは、限られた時間でプログラムを作るのは難しいがマスターの許可がもらえるならあと20回で100回になるからそれまでは続けたいと言われています」
「年に4回だからあと5年か。その時には船場君は71才だ」
「船場さんは仕事を辞められたので節約のため日帰りでLPレコードコンサートをされています。年末だけホテルで一泊されますが、それ以外は時間の都合がつかず名曲喫茶ライオンに行けません。名曲喫茶ライオンが午後1時からの営業になったことも大きいです。1泊して名曲喫茶ライオンに2回行き、新宿のディスクユニオンで2時間ほど掛けて中古レコード漁りをするのが楽しみだったのにそれが出来なくなったと船場さんは嘆かれています」
「でもそこまでしてLPレコードコンサートを開催したいのかな」
「LPレコードコンサートを開催するのが主目的ですが、名曲喫茶ライオンに行って持参のレコードを掛けてもらうのも新宿のディスクユニオンで低価格の名盤を探すのも船場さんにとって大きな喜びでした。その3つがうまく叶えられていたので東京に行くのが大きな楽しみだったようです。今はその半分どころか3分の1くらいになってしまったと言われていました」
「それでも続けたいというのは将来的に明るい展望が開けるかもしれないという期待があるからだろう」
「そうですね、でも今のままでも第100回までは何とか続けてほしいと思います」