プチ小説「こんにちは、N先生 110」
私は3ヶ月に一度東京阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでLPレコードコンサートを開催していますが、今回は別の楽しみもありました。大学1、2回生の時にドイツ語を習った先生と会えるかもしれないのです。1985年に卒業してからも手紙のやり取りを少ししていたのですが、仕事が忙しくなった私は、仕事が忙しくなったので手紙でのやり取りもできないと手紙に書いてしまったのでした。思えば、そのようなことを手紙に書かなければ、今でも年賀状でのやり取りは続いていたと思うのですが軽薄で思慮がなかった私はいらないことをしてしまったのでした。もちろんその手紙をその先生に出して以来、その先生からの連絡はありませんし連絡先もわかりません。その先生にもう一度会いたいと願う私は当時先生が言われていたことをやれば、もしかしたら先生に会えるのではないかと思いました。その先生は私にドイツ語を教えられましたが、研究されていたのはギリシア史、ホメロスの英雄叙事詩でした。先生は最初私に、ホメロスを読んだらと勧められましたが、ギリシアのことを全く知らない私が『イーリアス』や『オデュッセイア』を読むことはできませんと眼をむきながら言うのを見て、それじゃあ、意識の流れの手法の文学を読んでみてはどうかと言われて、スターン『トリストラム・シャンディ』、ジョイス『ユリシーズ』、ブロッホ『ウェルギリウスの死』などを紹介されたのでした。私は先生が手渡された『ウェルギリウスの死』をぱらぱらと見るとほとんど段落がないので、歯が立たないと思ったのでした。それで私はディケンズの小説や先生がお好きだったクラシック音楽で話題がギリシャ文学や意識の流れを読んだらと言われないようにしたのでした。そうして卒業してしばらくして音信を断ってしまったこともあってその先生のことを考えることはなくなったのですが、50才を過ぎてそれまでのめり込んでいた槍・穂高登山をやめてそろそろ買い込んだ本を読んで行こうと思った時にその先生が推薦された意識の流れの手法の小説を読んでギリシア文学(ギリシア悲劇、『イーリアス』『オデュッセイア』)も読もう。それからその先生が研究されているクセノポンの著作を読んで、最後にその先生が出版されたクセノポン『ギリシア史』を読もうと考えたのでした。『ウェルギリウスの死』を読んでから先生の著作を読み終えるまで15年程掛りましたが、先生が、面白いから読んだらと言われた本をすべて読み終えました。それで私は自分のホームページを持っているのをいいことに、先生に呼びかけてみることにしたのです。「私の人生は決して決して楽しいと言えるものでなく苦渋に満ちたものだったのですが、先生に大学からの帰りのバスの中で教えていただいた小説は私の人生に喜びを与えてくれました。(中略)先生のお陰で悩みと苦渋に満ちた苦しい時期を何とか乗り切ることができました。本当にありがとうございました。私は現在、先生のお住まいがある関東には年に4回行っています。3月、6月、9月、12月の第1日曜日にLPレコードコンサートを開催するために3ヶ月に一度東京都杉並区阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンに行っています。先生に御足労いただくのは恐縮ですが、もし昔の教え子の顔を見たいとお思いになられましたら、催しが始まる15分程前(午後0時45分)にご来店いただけると有難いです」と。そうして私は名曲喫茶ヴィオロンの前でその先生がLPレコードコンサートに来られるのを待っていたのですが、5分前になっても来られなかったためLPレコードコンサートの準備があるのでヴィオロンの店内に入りました。結局、その先生は来られませんでしたが、LPレコードコンサートを終えてJR阿佐ヶ谷駅に向っていると、君はトゥキュディデスの『戦記』を読み終えたようだがという声が聞こえました。振り返るとそこにN先生がおられました。
「君はまさか1回呼びかけただけで君の恩師が君の催しに来られて会えるとは思っていないだろう」
「ということは2回以上呼びかければお会いできるかもしれないということですか」
「そりゃー、呼びかけるのは1回より2回の方がいいのに決まっている」
「でもその先生のご著書はクセノポン『ギリシア史』以外は共著なので、同じ方法で呼びかけはできません。私が書いたクセノポン『ギリシア史』の感想文を読まれて、私に興味を持たれ私が主催するLPレコードコンサートに足を運ばれるというのが一番いいと思うのです」
「そうなんだね、でも私と長いつき合いだし私で我慢できないのかな」
「N先生はその先生をモデルにしていますが、あくまでも私の空想の産物です。リアリティを大切にしているつもりですが、実際のところ40年近くお会いしていないのですから最後にお会いした記憶で面影を浮かばせるしかないのです。その先生は今年79才になられるので、今は当時のように髪の毛がふさふさで黒々としていないかもしれません。N先生はいつもふさふさで黒々されていますが」
「まあ、君の気持はわかるが、来られなかったのは先生に何か事情があるのかもしれない。そういう時は君が創造した私で我慢すればいい。ところで君はトゥキュディデスの『戦記』を読み終えたようだがどうだった」
「紀元前431年に勃発し紀元前404年に終息したペロポネソス戦争のことを記録した歴史書ですが、トゥキュディデスが記録したのは紀元前411年まででその後をクセノポンが『ギリシア史』と言う本で引き継いでいます。しばしば現れる政治家や将軍の演説は興味深いです。印象深い政治家で最初に登場するのはペリクレスですが、彼は演説で民衆を鼓舞し導いたと考えられます。ペルシア戦争で対抗するために周辺諸国に呼びかけで結成されたデロス同盟を発展させたのは彼の功績ですが、あまりに大きくなりデロス同盟に加盟していない諸国が警戒して結成されたのがペロポネソス同盟でした。そうして紀元前431年にスパルタ(ラケダイモーン)王が率いたペロポネソス同盟軍によるアッティカ(アテーナイの領土)侵攻から長期にわたるペロポネソス同盟とデロス同盟との戦闘が始まります。この戦いを複雑にしたのは少数民族の国家や領土が多数存在してそれぞれの思惑でどちらかの同盟に参加したからです。それとデロス同盟の中心人物であるペリクレスがペロポネソス戦争が始まって間もない紀元前429年に疫病にかかって死んだということです。戦争推進派でなかったペリクレスが死んでしまったことで、早々に永続可能な平和条約を結んで戦争を終結できなかったのが長引かせた一番大きな原因ではないかと私は考えます」
「ペリクレスが悪いのかな」
「大昔のことなので実際どうだったかわかりませんが、ペルシア戦争に勝ってデロス同盟が繫栄しアテーナイ市民も同盟国も発展を願うとなると非加盟国への侵攻しかなかったのかもしれません。ペリクレスの演説は当時のアテーナイ市民に大きな影響を与えたと言われています。それにアテーナイとスパルタ(ラケダイモーン)は仲が悪かったと言われていますし」
「オリンピックで発散できなかったのかな」
「従軍した軍人の一人一人の意識はわかりませんが、軍を引き入る将軍や政治家は給与や食糧などを考えなければならず『アナバシス』にもあったようなその土地の破壊、略奪が当然のことのように行われたと思います。名誉など考えてる間はなく生活を安定させることや如何にして窮地を脱することしか考えられなかったのだと思います。テレビで落ち着いてオリンピックを見ることができる国に生まれたことを感謝しないといけないと思います」
「ペリクレスがもう少し長生きしていたらどうなったかな」
「ペリクレスがもう少し存命していたなら、深入りしなかったと思います。彼は領土の拡大を望まなかったと『戦記』に書かれていたと思います。だから短期に傷口を広げずに終息できたかもしれませんが、彼の死後に深入りを推し進める政治家や将軍がアテーナイに現れたために引けなくなったのだと思います。更にはアテーナイ(デロス同盟)だけでなくペロポネソス同盟に参加する国々も弱体化しギリシア全体が沈下していきます。いろいろ興味深い人物が『戦記』に登場しますが、特に目立ってひどい将軍(政治家)としてはアルキビアデスがあげられるのではないかと思います。アテーナイ出身の軍人なのにスパルタに情報提供したりします。そうしてまたアテーナイに戻ったりして節操がありません」」
「アルキビアデスのことについての記述はクセノポン『ギリシア史』にもあったね」
「そうです、興味のある方は是非お読みになってください」
「ところで君はこれからも感想を聞かせてくれるのかな」
「本を読むのは私の一番の楽しみですからこれからも興味を持った本を読みますし最後まで読んだら感想文を残すと思います」