プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生65」

小川はいつもと違って秋子、アユミとふたりの娘に見送られて家を出たが、こんなふうに送り出されるのも
悪くないなと思った。それはアユミが娘たちに、パパが会社に行くから一緒にバイバイしましょうねと言って
くれたからだった。
「アユミさんのおかげで、娘たちも僕が仕事で忙しいことも意識してくれるようになるかな。なにせ平日は娘たちが
 起きている時間に僕は家にいないし、休日は書斎にこもって持ち帰り残業をしたり眠っている。こちらから会話
 しようと思った時には娘たちは外で近所の子供たちと遊んでいる。そうは言っても、秋子さんが気配りして休日には
 子供たちとの時間を作ってくれるから、心配はしていないんだけれど」
小川はいつもの喫茶店に入ると、いつもどおり一番奥にある席に腰掛けた。
「それにしても「我らが共通の友(互いの友)」をやっと半分読み終えたが、興味深い人物がたくさん出て来るなぁ。
 主人公のジョン・ロークスミス、そのお相手のベラ・ウィルファー、もうひとつのカップル、ユージン・レイバーンと
 リジー・ヘクサム。この2つのカップルを中心に物語は展開するが、他にボッフィン氏とサイラス・ウェッグの
 ハーマン氏の遺産をめぐっての争いや詐欺師のラムル夫妻とフレジビーの悪人の悪巧みがことごとく失敗に終わることも
 ディケンズ先生は興味深く描いている。小説の登場人物の中には、その人が出て来ただけで、その場がぱっと明るく
 なる人とその逆に暗い雰囲気にしてしまう人がいる。この小説ではベラのお父さんのレジナルド・ウィルファーが
 明るい人、リジーの弟、チャーリー・ヘクサムの先生、ブラドリー・ヘッドストンは暗い人と言えるだろう。
 第2部の最後近くでヘッドストンはリジーにきっぱりと交際を断られるが、そのことを告げられた時に激昂した
 ヘッドストンは笠石を素手で殴りつけ大けがをしてしまう。その二つ前の章ではジョン・ロークスミスが自分が
 ジョン・ハーマンであることを読者に明かしている。ベラに自分の気持ちを打ち明けたが、成金のボッフィン氏に
 気に入られて突然裕福な暮らしを始めたベラにとっては年収150ポンドの秘書は眼中にない。あっさりと交際を
 断られた彼は成り行きからジョン・ハーマンが殺されたことになったのを後悔し始める。なぜなら父親の遺言では
 ベラと結婚することになっていたのだから。それにしても僕は秋子さんというかけがえのない女性と結ばれたが、
 ブラドリーのようにいくら頑張ってみても女性を振り向かせることができない場合もあるのだから...。最終的な
 決定権があるのは女性の側なんだから疎ましがらずに公平に話を聞いてあげればいいのにと思う。ハンサム=善人
 でもないし、醜男=悪人ではないのだから。そろそろ出るか。1週間頑張るぞ」

その晩、小川は帰宅が遅くなったので、書斎で眠ることにした。夕食も済ませていたしシャワーを浴びるとすぐに床に付いた。
眠りにつくとディケンズ先生が現れた。
「小川君、今読んでいる小説のタイトルについての謎が解けたと思うが...」
「ええ、もちろん。我らが共通の友(互いの友)としたのは、主人公ジョン・ハーマンが世間に殺人事件に巻き込まれて
 死んだと思われたため、自らをジョン・ロークスミスと名乗ったことから、どういうタイトルにしようかと先生が
 考えて、名前ではなく他の方法でその人を特定しようとしたということですね」
「君の言う通りさ」