プチ小説「長い長い夜 28」

十郎は山北や洋子とクラシック音楽について話すのは好きだったが、基礎知識として楽典についての話が出た時にはついていけなのでその話が出ると用事があるから先に帰ると言って逃げていた。小節、ト音記号とヘ音記号、音符と休符、拍子記号、強弱記号、反復記号などは理解できるが、速度に関する記号や標語については適当だったし、五度圏やスケールについては何度理解しようとしてもダメだった。さらにコードはチンプンカンプンだった。最近は洋子から五度圏くらいなら暗記すればいいと言われ走って逃げたのだった。五度というと4つ上がったり下がったりすることはなんとなくわかるが、何が上がったり下がったりするのかはわからなかった。そのことを考えて歩いていると奥山先生が声を掛けてくれた。
「どうしたの、何か悩みでもあるの」
「学校のことでの悩みではないので、先生に相談していいのでしょうか」
奥山先生がどんなことか言ってみてと言ったので、十郎は、最近、洋子から楽典のことで尋ねられて困っていると言った。
「そうなのね、先生もクラリネットを習っていて、楽典のことは余り理解できていないから、山根君が困っているのはわかるわ。特に五度圏とコードは音楽をほとんど習わなかった人には難関だと思うわ。私も音楽の授業を受けたのは中学生までだから、クラリネットを習うようになって苦労したわ。五度圏は理論的には理解できたけど尋ねられてすぐ回答できるまで覚えられていないわ。スケールも楽譜を見ながらなら吹けるけど、例えば講師の先生がヘ長調の音階と分散和音を吹いて下さいと言われたら、何とか吹けるけど変イ長調の音階と分散和音は楽譜を見ながらでないと吹けないわ。短調はイ短調(変音記号なし)でも楽譜がいるわ。コードのことは今でも・・・」
「ぼくはフラット1つがヘ長調、これはC(ハ)から4つ下がったF(へ)、シャープ1つがト長調、これはCから4つあがったG(ト)くらいならわかるんですが、それ以上変音記号が増えると混乱してわからなくなります。それからフラットが2つつくと変ロ長調となぜ変がつくのかわかりません。先生は音階も覚えないといけないから大変ですね」
「確かに短調だと臨時で変音記号がつく音が出て来るから、それを覚えるとしたら大変だわ。でもレッスンで音階を楽譜を見ないで吹いてと言われたことはないわ。ハ長調、ト長調、ヘ長調の曲は演奏することが多いから、音階と分散和音は覚えてくださいと言われるけどそれ以上高度なことは要求されないようよ」
「シミラレソとかファドソレラとか言われると何かわからなくて」
「ああ、それは五線譜にある変音記号を見ればわかるわ。フラットならシミラレソ、シャープならファドソレラのところに順番に変音記号が付いて行くのよ。長調の場合はそこのところを半音上げるか下げるかすればいいけど、短調の場合はそれ以外にも半音上がるか半音下がるかする場合があるみたい。これは最近先生がようやくというかやっと理解できたことだけれど、ヘ長調の主音はファ(F)でシミラレソのシではないということ。つまりヘ長調の音階を吹いて下さいと言われたら、ファの音を主音(ド)で始めて、シのところは半音下げて演奏するということ。短調の曲は意外な(規則的?)ところに変音記号が付いていたりするからすぐわかりますと講師の先生は言うけれど自分で理解して短調の曲を吹けるようになるまで10年以上かかるんじゃなかしら」
「先生が教えてくださったので端緒を掴めた気がします。たまに音楽の教科書を見て少しずつ楽典を覚えることにします」
「そう、希望を持って少しずつ覚えて行けばいいのよ」