プチ小説「青春の光 126」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「もう10月も下旬に入ろうとしているのに毎日最高気温が30度近い。今年は12月末まで半袖で過ごせるんじゃないか」
「天気予報では来週に入ると平年並みになって冬が来るのは早いと言っていました」
「私はあまり寒いのは嫌なんだ。でも秋が来ないと本を読んだり芸術に触れたり旅情に誘われたりとかする気がしない」
「ぼくたちは船場さんのお陰で昨年から、古典と言える『知と愛』『夢遊の人々』『緋文字』『赤と黒』を読んだ他、ギリシア文学・歴史書の『オデュッセイア』『イーリアス』『ソクラテスの思い出』『ギリシア史』(クセノポン著)『戦史』(トゥキュディデス著)それからラテン文学の『アエネーイス』も一応読みました。最近は東京まで行かないと面白そうな美術展がないのは残念ですが、岡崎公園で企画展はしています。ぼくは久しぶりに高山に行ってみたいのですが、なかなか旅費が捻出できません」
「紅葉の盛りの時に行くのが良いと思うが、これも船場君の気持ち次第だな」
「船場さんは、母親の手術が無事終わったら行きたいと言われていたので、11月中旬以降になるでしょう」
「われわれもお母さんの手術が無事終わって、船場君が早く旅行に行けるようにと願うしかない」
「こういう時は励ましたり、鼓舞してくれるような音楽を聞きたい気がします」
「一緒くたにするのではなく、別々に考えてみよう。まず励ましてくれる音楽だが」
「これは何と言っても船場さんが長年愛聴して来たブラームス交響曲第1番とチャイコフスキー交響曲第5番でしょうね」
「確かにそうに違いないが、私としてはあと2、3知りたい気がする」
「これはぼくの独断ですが、ベートーヴェンの曲にいいのがあると思います。チェロ・ソナタ第1番、ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、ピアノ協奏曲第3番とかお勧めですね」
「私はロマン派の交響曲が好きだから、シューベルト交響曲第9番「ザ・グレイト」、シューマン交響曲第3番「ライン」、メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」がいいと思う。鼓舞してくれるというのは難しいが、田中君は当てはまる曲が言えるかな」
「もちろんです。これも船場さんが推薦するレコードですが、ルッジェーロ・リッチの「クレモナの栄光」はいつも元気づけられて何か創作したくなると言われていました」
「そうだなぁ、やはり交響曲や協奏曲や管弦楽曲が賑やかに奏でられるより、しっとりとした音楽が後押ししてくれるようなそんなのが鼓舞してくれるのかもしれない。そういうのなら私の好きなのがいくつかある。全部言っていいかな」
「普段されないので、思いっ切り心行くまで語ってください」
「よしきた。まずはシューベルトのアルペジョーネ・ソナタだが、これはシャフランのEMI盤が唯一無二だ。次にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第10番「ハープ」だ。こちらはウィーン・コンツェルトハウス四重奏団がベストだ。3つ目はメンデルゾーンのピアノ三重奏曲第1番なんだが古い演奏になるが、コルトー、ティボー、カザルスがお勧めだ。4つ目はシューベルトのピアノ三重奏曲第2番、これも古い録音だが、ルドルフ・ゼルキンとブッシュ兄弟の演奏が唯一無二だ」
「唯一無二が多いですね。あと1つで終わりになりませんか」
「田中君がそういうのなら、私は合わせるよ。その代わり、もう一つシューベルトの曲を言わせてほしい。シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」なんだが、この曲にはウェストミンスター盤の名盤が2つある。ひとつはパドゥラ・スコダとバリリ四重奏団のメンバー他、もう一つはパドゥラ・スコダとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のメンバー他だ。それからブレンデルとクリーヴランド四重奏団のメンバー他の演奏もすばらしい。ブレンデルは後に別のグループと録音しているが、ジャケットの写真がいいので愛着のある最初の録音の方を推薦したい」