プチ小説「長い長い夜 32」

十郎は先週末に久しぶりに洋子の父親がレコードコンサートを開催してくれたので、山北にそのことを話した。
「最近、レコードコンサートがないなあと思っていたら、歌劇の特集をしてくれた。コンサートの終わりに洋子ちゃんのお父さんが、最近しなかったのは、何を掛ければいいかと迷ったからで、こういうのが聞きたいと言われればそれに応えると言われていた」
「嬉しい話だけれど、本当のところは仕事が忙しくなったからかもしれないよ。だから山根君が10程プログラムを作って、こんな特集をやってほしいというのはやめといた方がいい」
「えーっ、そうなの。ぼくは山北君と今度どんなレコードコンサートをしてもらおうか話し合おうと思っていたのに」
「それは勿論大丈夫だよ。でもたくさんの希望を出したりして今以上負担が増えると、お父さんが、もういいかと思わないか心配なんだ。それでほどほどがいいかと考えたんだ」
「山北君の言う通りだね。それにぼくたちもうすぐ6年生になるから、進学のことも考えないとね」
「うちの母親も将来のために私立中学に行ったらと言っている。京都市内にはいくつかあって1時間余りで通える私立中学もあるから行けないことはない。奥山先生も行けるんじゃないと言っていた。山根君はどうするの」
「うちは受験は高校の時でいいんじゃないかなと言っている。となると高校を卒業して大学生になるまでは山北君と同じ学校に通うことはなくなるということになるね」
「そう、だからぼくからの提案だけど、高校生になる前までは定期的に洋子ちゃんの家に集まれるようにしたらどうかなと思うんだ」
「でも毎週土曜日にお父さんにコンサートを開催してというわけには行かないだろう」
「もちろん、そんなことは言えない。回数は月1回くらいが限界かなと思う。今まで通りでいい思う」
「山北君はコンサートを自分でやってみたいと思っているの」
「そうだね、自分で曲を選んで解説をして曲を聞いてもらうというのもためになるかもしれない」
「何のためになるの」
「将来、クラシック音楽に関係する仕事に就いた時にかな」
「そうなのか。うちのお父さんはその点は冷めていて、今はクラシックブームだけれどいつかは他の音楽の台頭が激しくなって、NHKFMのお昼の番組がほとんどクラシック音楽ということはなくなるだろう。趣味も今のようにオーディオ装置やレコードにお金を掛けるのは他の趣味がないからで、アウトドアとかスポーツとかマンガとかアニメとかの人気が出てきたらクラシック音楽は今ほどの人気はなくなるだろうと言っているよ」
「実はぼくもそう思っている。だけどぼくたちは流れに身を任せるしかない。ブームを作り出すのはメディアだ。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、広告なんかで取り上げられるかどうかで人気が左右される。クラシック音楽が今もてはやされているのは昔からある大作曲家の業績をレコードで気軽に聞けるということからだ。それにいろんな名演奏家が現れて魅力的な演奏をしている。レコードは音質が良くて高級オーディオ機器で聞けば生よりいい音か聞けると言う人もいる。そういう魅力的な音楽だから新聞、雑誌、ラジオでしばしば取り上げられ、オーディオ機器メーカーは鎬を削り合っている。でもいつまでそれが続くかだ」
「やっぱり続かないんだね」
「まず演奏家がどうなるかだね。今はカラヤン(この小説は1978年頃を想定しています)が中心になってクラシック音楽を引っ張っているけれど彼ほどのスターは今後現れないだろう。それともうひとつはオーディオ装置のデジタル化だ。これはよく知らないものの憶測と考えてもらうのがいいのだが、デジタル化が進むとレコードがなくなる」
「レコードがなくなるって、その代わりのものができるんだ。テープとかディスクとか」
「なくなる前の過程でそういうものが必要かもしれないけど、コンパクトなハードディスクが入ったレコーダを高性能なイヤホンで聞く時代がやってくる。そうなるとそれまでレコードの恩恵を受けていた産業が衰退していく・・・山根君、何怒っているの」
「だって山北君が言うことはSF小説のようだもの」
「もちろんレコードやステレオが完全になくなるということはなくSPレコードや蓄音器のような扱いになって行く。そうだな今のところデジタルとアナログがよいところを主張し合っているけれど1980年代に入るとデジタルの時代になる。そうしてぼくたちが社会に出る頃には少なくともソフトの主流はアナログレコードでなくなる気がする。新しいディスクを陳列する棚が置かれるようになりレコードは隅にやられることだろう」
「でもデジタルになることでよい音でクラシック音楽が聞けるのならそれでもいいんじゃないの」
「デジタルは高音と低音の美味しいところを落としてしまうから味気ない音になるという話をよく聞く。でもそういうのに慣れてデジタルのいいところばかりが宣伝されるとアナログレコードは太刀打ちできないだろう」
「ということはぼくたちはLPレコードの終焉に立ち会うということになるの」
「さっきも言った通りデジタルへの移行は流れに身を任せるしかないことなんだ。だけどぼくは将来クラシック音楽の仕事に身を置くことで、それを食い止めることは無理でも遅らせることは出来るんじゃないかと思っているんだ。アナログレコードのやさしい音を聞いてもらって、めんどくさいけどアナログ装置を買ってもらってアナログレコードを聞けばこんな素晴らしい世界が広がるんだと思ってもらう。時代に逆行しているかもしれないけど。そうしないとレコードとステレオが博物館でしか見られなくなってしまうかもしれない」
「わかった。ぼくも社会に出たら、クラシック音楽関連の仕事に付けなくても山北君を応援するよ」
「ありがとう。だから大学を卒業するまでは今のままで」
後ろで二人の話を聞いていた洋子が言った。
「私も山北君を応援するわ。私は山根君と同じで中学受験はしないけど、大学が同じところに行ければいいと思っている。とりあえず中学生までは月に一回は私の家でクラシック音楽を楽しみましょう」