プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生66」

アユミが九州に帰って行ったその次の日の夜、帰宅した小川は昨晩ディケンズ先生から提供されたアユミについての情報を
秋子からより詳しく教えてもらおうと思い、夕食の時(と言っても午前0時だったが)に何気ない振りを装って尋ねた。
「アユミさんはこれからも1ヶ月に1回は家に来るわけだから、もう少しアユミさんのことについて知っておきたい
 んだけれど...、アユミさんの古傷って...」
「小川さんがこれを機会にアユミさんについてもう少し知っておこうと思ったのは、無理もないことだと思うわ。
 これからは子供たちの面倒も見てもらおうと思っているし、少しは小川さんにアユミさんの謎について知っている
 ことを話しておこうかな」
「是非お願いしたいけれど、それはお酒と憧れの男性の話かな」
「そのとおりよ。実は、音大に入学して3年間はアユミさんはピアニストとプロレス愛好会の鬼コーチを両立させていた。
 けれども、あることがあってからは全神経がそちらにそそがれることになったの」
「憧れの男性?」
「他校から来られた先生が、プロレスファンでアユミさんの愛好会に興味を持たれた。その方も自分で武道をされていて、
 音大の生徒が筋肉隆々で放課後に身体を鍛えているという意外性に興味を持たれたの」
「確かに基礎体力が人より優れていれば自分の声や楽器の音を遠くまで届かせたり響かせることができる」
「そう、指先の繊細さを余りに大切にしすぎるために、体力の面で演奏に必要なものを備えていないようにも思うの。私個人の
 意見だけれど、少々無骨であってもハートが暖かければ、みんな耳を傾けてくれると思うのよ。アユミさんも日頃から
 そう言っているわ」
「でも、楽譜に忠実に演奏するために日頃から何時間も楽器の練習している人からは反対意見も...」
「そうかもしれない。でも、前にも言ったけれど音楽の基礎ができていれば、あとは技巧よりも歌があったほうが多くの人が
 耳を傾けてくれると思うの。これはあくまでも私の個人的な意見に過ぎないけれど...」
「話を続けて」
「ある日、宴会でその先生とアユミさんが隣同士になったの。当時からアユミさんはお酒好きでしかもすぐに正体不明に
 なることも自分で知っていた。それで先生からの杯を拒み続けたんだけれど、憧れの男性から再三勧められたので、断れ切れずに
 ついに飲んでしまったの。当然、アユミさんとしてはお返しがしたいと思って、先生に勧めたんだけれどその先生は下戸で拒み
 続けた。やがてアユミさんは正体不明になってしまい。怒りが募って来て鳩尾にパンチを入れてしまったの。先生が、
 「フフフ、効いたぜ」と言ってその場に倒れてしまった時にアユミさんは正気に戻ったけれど、先生は二度と宴会に来ることは
 なくなり、年度が変わると他の音大に転勤されたの」
「そうだったの」

それからすぐに小川は寝床についたが、眠りにつくとディケンズ先生が現れた。
「そういうことだから、アユミさんの酒癖の悪さは天下一品だ。恩師を失神させたくらいだから。君も日頃から鍛えておくといいよ。
 アユミさんのように天井から逆さ吊りにして腹筋をしろなんで言わないけれど...」
「......」