プチ小説「こんにちは、N先生 124」
私は3ヶ月に一度、東京杉並区の名曲喫茶ヴィオロンでLPレコード・コンサートを開催するために京都駅から新幹線に乗りますが、新幹線に乗車して指定席のある5号車の12Eの席の近くまで来ると声がしました。
「こっち、こっち、ここだよ」
それはN先生の声で、先生は通路側に頭を傾けて手招きをされていました。。私はN先生がたとえ千里眼であっても、まさか新幹線の指定席までわかるとは思わなかったので、驚いてその場で尻もちをついてしまいました。
「N先生、よく私の指定席がわかりましたね」
「そりゃー、君は3ヶ月に一度定期的に東京に行くからね。こんなことはお茶の子さいさいだよ」
私はそれだけではなぜ私の隣に腰掛けることができたのか不思議なままでしたが、何も言いませんでした。
「今日は2つの話題があるから、新幹線の中でゆっくり話そうと思ったんだ。ちょうど6月7日にLPレコードコンサートが開催されることがわかっていたし、あとは君が乗りそうな時間帯とか調べれば隣に座って話ができると思ったのさ」
「でも指定席までは」
「いやそれも何となくわかる。まあ、それより本題に移るとしよう。今日はディケンズの『アメリカ紀行』の後半、特に第17章と『千一夜物語』第12巻の『金剛王子の華麗な物語』について君の感想を聞かせてもらおうかな」
「ええ、では、『アメリカ紀行』からですが、前に先生にお会いした時に第3章のディケンズの盲学校についての報告を後にヘレン・ケラーの両親が読み、盲学校に依頼してサリヴァン先生がヘレン・ケラーのところを訪れることになるという感動的な話に最初に読んだ時に私が気付かなかったことを先生にお話ししましたが、その時は第17章まで読んでいなかったので、第17章の奴隷制度のところのお話しができませんでした」
「そうか、私の登場が早すぎたんだね」
「いいえ、先生が登場して励ましてくださるのはいつでもオーケーですので、これからもお願いします。ただそのことについて一緒に話せなかったので・・・」
「そりゃー、君が『千一夜物語』を全部読んでから感想を書かないで小出しにしているのだから、『アメリカ紀行』も同じようにしてもいいんじゃないかな」
私はそういう考え方もあるなと思いながら話を続けました。
「そうですか、先生がそうおっしゃるんなら、安心して『アメリカ紀行』の第17章についてお話しします。第17章 奴隷制度は、奴隷制度の問題点を事例を上げながら説明しています。日常生活に関してのことが多くて特にこれを続けたら支障があるという程度という感じです」
「でもぼくはわずかな分量でも効果はあったと思うよ。旅行記の一つの章でアメリカの制度の批判をするというのは誰も考えつかないだろう。分量の少ない叙述だったが波紋を広げていったことは考えられる。私はギリシア史ならわかるがアメリカ史はよくわからない。でもディケンズが奴隷制度について疑問を持っていると言ったことはヘレン・ケラーの両親のような良識のあるアメリカ国民に読まれたことは間違いないことで、当時のアメリカ国民が奴隷制度についてどのように思っていたかはわからないがディケンズが提起した問題点が心に残ったことは間違いない」
「そうしてリンカーンもディケンズの『アメリカ紀行』を読んでいて、政策に影響を与えたかもしれないと・・・」
「それは本人に直接聞くわけに行かないから、もしかしたらヘレン・ケラーの両親のようにリンカーンも『アメリカ紀行』を読んでいて特に第17章は繰り返し読んだかもしれないというのはありそうなことだと考えられるとしか言えない」
「ということは『アメリカ紀行』は奴隷解放に一役買ったと言えるかもしれないのですね」
「いや、あくまでもヘレン・ケラーの両親のように読んだかもしれないにとどまる。ただ『アメリカ紀行』はそれまでのディケンズの作品ほどアメリカ国民に読まれなかったようだから、ディケンズとしては不満だっただろう。でもそのあまり読まれなかった『アメリカ紀行』も良識のあるアメリカ国民の目に触れて、他の作品より口コミで広がって行った可能性はある。口コミは文字の読めない人にも伝わるから、『アメリカ紀行』の第17章で書かれたことははたくさんの人に広がった可能性はある」
「ディケンズはそれを狙っていたんでしょうか」
「それはリンカーンが『アメリカ紀行』を読んだかと同じようにディケンズに直接訊いてみないとわからないことだよ。それより君は、『千一夜物語』第12巻(岩波文庫)の『金剛王子の華麗な物語』を読んだようだが、面白かったかい」
「よく知られた『千一夜物語』の中の話はこの前の『アリババと四十人の盗賊の物語』で終わりだと思ったのですが、昨日読み終えた『金剛王子の華麗な物語』もプッチーニの歌劇「トゥーランドット」を作る時に参考にした物語で、王子が恋い焦がれるのが謎かけ姫というところが同じのようです」
「どんななぞなぞなのかな」
「「松毬と糸杉との関係はいかに?」というもので、モホラ姫はこのなぞなぞに答えられなかった王子たち千人以上の首を切り晒したようです。物語の経緯が複雑なので、先生に上手く説明できるかと思います」
「ぼくは君が物語を要約して聞かせてくれるのをいつも楽しみにしているから今日もやってほしいな」
「そうですか、わかりました。金剛王子というのはシャムス・シャー国王の一人息子で、挙措雅やかで美貌を持つ若い王子のことですが、王子はある日は狩に出掛けたいと王に言いました。国王はすぐにそれにこたえ、王子は部下と共に狩りに出掛けました。王子がオアシスで馬に水を飲ませ休憩を取っていると玉座に年取った王が腰掛けているのに気付きました。王子がなぜここに居るのかを尋ねると老王は、自分の7人の息子はモホラという美の完全な姫に憧れて求婚した。モホラは、すべての求婚者は「松毬と糸杉の関係はいかん」という問に答えなければならない、問いに答えられない時には首を切られて宮殿の尖塔に掛けると言った。王の7人の息子は皆モホラの問に答えられず、首を切られた。余は黒い運命に癒しがたくさいなまれ、希望なき苦悩に打ち倒されて、領土と我が故国を棄て、宿命の路上をさまよいに出た。そうしてここに行き着き、この玉座の上に座って死を待っている次第であると王は王子に言った」
「モホラの美貌に魅せられた王子7人が問に答えられなかった。息子7人が皆と言うのは気の毒だが、みんなモホラの魅力に負けたのだろうか」
「あまり長々と説明しても仕方がないので手身近に言うと、王子は王に相談しますが、王は絶滅破壊の大軍をさしむけモホラを奪ってくると言うので、金剛王子は自分で解決すると言って、問に答えられるよう自分で「松毬」「糸杉」について調べることにします」
「まずはどこに行ったのかな」
「いえ、調査の前にモホラと会うことにします」
「会うって、会って「松毬と糸杉との関係について」答えられなかったら、一巻の終わりだろ」
「モホラがいるカームース王国に行き、宮殿の尖塔を見ると幾千?もの王侯貴族の首が吊るされています。それでも王子は躊躇することなく、モホラとの会見を希望する物は太鼓を撥で打ち鳴らせとの指示に従いました」
「で、モホラが出て来て問に答えるよう迫ったのかな」
「ここを少し省略したいのですが、モホラの父親であるカームース王が金剛王子と会うことになり、王は美貌の王子が他の王子たちと同じようになるのは気の毒と思って、3日間熟慮しなさいと言って引き取らせます。ですが王子はすぐに帰らないで市場を回ったりしていました。そうしてモホラが住む屋敷(御苑)にもぐりこみ、モホラに会おうとしました」
「そうしてモホラと会うことができて、しかも王女の侍女の珊瑚の枝を味方につけることができたんだね」
「そうです、問に答える状況にならずにカームース王とモホラ姫に会うことができ、しかも強い印象を残したのでした。金剛王子はモホラに会ってますます思いを強くしたのですが、侍女の珊瑚の枝は貴重な情報を与えてくれました。モホラ姫の象牙の寝床の下には悪い黒人がいて、姫をそそのかして王子たちに難題を吹きかけるように仕向けた。この悪い黒人は以前ワーカークに住んでいて逃げて来たので、その町に行けば問題の正解がわかるだろう。それ以外に方法はないと言いました」
「ワーカークってどこにあるのかな」
「金剛王子がどうしようかと頭をめぐらせていると一人の修道僧(ダルヴィーシュ)の姿を認めました。修道僧は最初金剛王子を引きとめましたが、ワーカークに行く道を教えてくれました」
N先生はそれまでにこにこしなが私の話を聞いていたのですが、急に話をしなくなりました。そうしてようやく言いました。
「ところでぼくはトイレに行きたくなって来た。確かプチ小説はA4サイズの用紙1枚に収まる小説と君は考えていたね。次のプチ小説で『金剛王子の華麗な物語』の後半のあらすじと感想を書いたらどうかな」
私が気になっていたことをN先生がすかさず言ってくれたので、流石だなと思い、それに従うことにしました。