プチ小説「こんにちは、N先生 126」

私は毎年6月にあるディケンズ・フェロウシップの春季総会に出席することを楽しみにしているのですが、今年は2024年と同様に九州での開催でした。それで折角高い電車賃を使って九州まで行くのだから、もう一泊して近くの観光地に足を伸ばそうと考えていました。北九州市八幡の皿倉山で夜景撮影することをすぐに決めたのですが、夜景は夜ですから総会があった翌日の朝から夕方までをどうするか、午後4時位ぐらいまでどうして過ごそうかとあれこれ考えました。結局、特急ソニックに乗れば2時間半程で行ける大分方面に行くことに決めました。大分市内は観光地がないと思ったので、別府温泉で地獄めぐりをすることにしました。午前9時過ぎに別府に到着してからしばらくしてM29800星雲からやって来た宇宙人谷さんと偶然会うことができて一緒に楽しい時間を過ごしましたが、午後5時過ぎに谷さんと別れて博多で区間快速に乗り八幡に向おうとしてホームで並んでいると聞き慣れた声がしました。
「ディケンズ・フェロウシップの春季総会があったようだが、楽しかったかい」
「ああ、N先生、先生もギリシア史の学会とかでこちらに来られたのですか」
「いや、ぼくは旦過市場でイワシとサバのぬか炊きを買おうと思って、はるばる来たんだ。それから明日は特急ソニックに乗って別府まで行って地獄めぐりをしようと思っている」
「地獄めぐりは今日行きました。これから皿倉山に行って夜景を撮影しようと思っています」
「でもここに来たのは、ディケンズ・フェロウシップの春季総会に出席するためだろ。君は今回の会場になった西南学院大学にはいろいろ思い出があるんだろ」
「ええ、2013年の秋季総会でミニ講演「ディケンズとともに」をさせてもらったのは懐かしい思い出です。W大学のU先生が司会をしてくださり、当時日本支部長だったK大学のS先生は私にミニ講演の依頼をしてくださり質問もしてくださりました。懇親会ではクラリネットの演奏もさせてもらい、N大学のM先生が写真を撮ってくださったのでHPに掲載しています。イギリス文学のことでしばしばメールのやり取りをしたF大学のW先生、この4人の先生方には本当にお世話になりました」
「年2回あったのが6月の春季総会だけになってしまったのは物足りないだろうが、これからも先生たちとの交流は大切にした方がいい」
「そうですね、人と話す機会も少なくなりましたし」
「ところで君は『千一夜物語』(岩波文庫)全13巻を読み終えたようだが、面白かったかい」
「最初は全13巻を最後まで読み終えることは可能かと思って、他の本と並行して読んでいましたが、『アラジン』あたりから面白くなって『千一夜物語』だけを読むようになりました」
「『千一夜物語』はいくつかの翻訳が出ていて、アラビア語の直訳(『アラビアン・ナイト』(東洋文庫)全18巻)の他に英語の重訳(『千夜一夜物語』(ちくま文庫)全11巻)とフランス語の重訳(『千一夜物語』(岩波文庫)全13巻が主なところだ」
「私は『千夜一夜物語』を読もうか『千一夜物語』を読もうか迷って、どちらも第1巻だけを購入して比較検討しました。そうして読みやすく携帯に便利(本の厚さがかなり違います)ということで、岩波文庫を読むことにしました。神田の古書街で全13巻が1万円程で買えたのもラッキーでした」
「たくさんの物語があるがどの物語が面白かったかな」
「やはり『シンドバードの七つの海の航海』『アラジンと魔法のランプ』『アリババと四十人の盗賊』と魔法の絨毯が出て来る『ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語』、それからプッチーニがオペラ「トゥーランドット」を作る時に参考にしたと言われている『金剛王子の華麗な物語』が面白いと思いますが、『千一夜物語』の主人公ともいえるハールーン・アル・ラシードの後半生のことがよくわかる『ジャアファルとパルマク家の最期』という物語も興味深く読みました」
「パルマク家のジャアファルはハールーンの一番の側近でパルマク家のお陰でアッバース朝の政治が安定していたが、ある出来事があってハールーンはジャアファルと妹のアッバーサが信用できなくなった。二人を側に置いておきたいというハールーンの思いつきで二人を結婚させたのだが、ハールーンが子供を作ることを禁じたため二人は精神的に追い詰められてしまう」
「子供ができてしまって、ハールーンは二人に不信感を持つようになり二人を罰せざるを得なくなります・・・」
「そうして一番大切にしないといけない2人の友を失い、政治にも影響していく。それまで物語の登場人物として描かれてきたハールーン・アル・ラシードのような溌溂とした若きカリフの姿はそこにはない」
「ハールーンの後継者はどうだったんでしょうか」
「最初、兄が継いでその後息子が継いだが、ハールーンの頃の勢いはなくなりやがてアッバース朝は衰退していく」
「『千一夜物語』にはハールーンが登場する物語がたくさんありますが、気になるのがハールーンが自分の伴侶にしたいと望んだ姫の多くが王妃セット・ゾバイダの計略にかかって恋愛が消失してしまうことです。ハールーンはその度に失望したと思うのですが、そのいくつかがうまく行っていたら、ハールーンは勢いを取り戻したのではないかと思います。イスラム教は一夫多妻を認めていますからそれもありだと思うのです」
「やさしい伴侶に勇気づけられてハンサムな若い教王(カリフ)は頑張ったかもしれないね。第13巻の最後の千一夜でシャハリヤール王が今までやったことを悔い改めて、シャハラザードと三人の子供を家族として認め、シャハラザードの妹ドニアザードを自分の弟の嫁として認め、大臣であるシャハラザードの父をサマルカンドの王とした。そうしてみんな幸せに暮らしたという結末は明るい結末と言えるが、『千一夜物語』に収められている物語は様々でそれだからこそシャハリヤール王だけでなく誰でもが楽しめるのだと思う」
「そうですね、ハッピーエンドとは限らず、登場人物も人間だけに限らず性格もバラエティーに富んでいるので最後まで楽しめるのでしょうね」