プチ小説「月に寄せて4」
終電で帰宅していた上野はガラス越しに外の景色を見ていたが、自分が勤める工場のところに
来ると目を凝らした。
<まだ、あの娘仕事をしているのかなあ。ぼくの後任として他の工場からやって来たあの娘は
ぼくより1つ下だけれど、がんばり屋さんだ。正直言って、男ばかりの工場でうまくやれるのか
と思っていたけれど、ここでの仕事をすぐに覚えて部下を指導している。3ヶ月間一緒にやって
来たけれど、今日の昼休みに初めて食堂で一緒に昼食を食べたんだ。午後2時近くだったんで、
ぼくたち二人だけだった。彼女は、ぼくに微笑んで話し掛けた。
「上野さん、いつも遅くまでお仕事されていて、大変ですね。身体をこわさないようにして下さいね」
「君こそ、転勤して来てから、休みもほとんど取っていないんじゃないの。この前、休日出勤したら
君がここに来ていたんで、びっくりしたよ」
「まだ、実家から通っているので、夜遅く帰宅すると両親が心配するから。遅くまで残れない分の仕事を
休日にしてきたの。でも、今日は上野さんと一緒に遅くまで残ると両親に言って来たわ」
「なんだい、君はまだ会ったことのない男性の話を両親にするのかい」
「そうよ。とっても親切な人でお昼は私のめんどうばかり見てくれるので自分の仕事がほとんどできない。
それで毎晩夜中まで仕事をされている。正直、上野さんがいなくなったら、私、困り果てるんじゃないかと...」
「なに、大丈夫だよ。この工場の人はみんな親切だし、みんな君のことを好きのようだし...」
「そう、それだったら安心したわ。でも...」
「でも、なにかな」
「いいえ、いいのよ」
「なんだか気になるなあ。でも、なんなんだい」
「でも、上野さんはあたしのことを...」
「ああーぁ、そのことか。ははは、明日には遠くに行ってしまうので、返答に困ってしまうが、そうだな、
ぼくがもう一度君の前に現れた時に君の気持ちが変わってないなら...でも、今は...」
「そうよね、こんな時にこんな話をするなんて、どうかしているわね」
って、稲田さんが言った後は引き継ぎの話になってしまったけれど...。お互い仕事をきちんとして初めて
おつきあいの話ができるのだと思うのだが、こんなぼくのことを融通の効かない堅物と思っていないだろうか...>
天頂近くにある月を電車から見ようとして、上野は少しかがんで上方を見たがあいにく雲がかかっていて
放射した月の光がまわりの雲を光らせているのが見えるだけだった。上野はうわ言のように呟いた。
<強く自己主張する輝いている人と控えめであるけれど周りを明るくする人のどちらがいいんだろうか>
そんなことを考えていると月が雲の上方に出て来たが、その様子は人間が腕を組んで考えごとをしているように
見えた。