プチ小説「月に寄せて8」

その後も上野は月に1回、昔の職場を訪れて稲田に仕事の引き継ぎをしていたが、そろそろ申し送ることが
なくなりつつあった。また、帰りしなの線路沿いの道では、いつも白銀の美女が電柱の影から現れようとするのを
見掛けた。上野は白銀の美女が今にも飛び出しそうになると、400メートルリレーの最終ランナーのように
走り始めた。白銀の美女を振り切って駅に着くことはできたが、いつまでもこのようなことを続けられないだろう
と考えた上野は、稲田に手紙を書いた。

3月に入って穏やかな晴天が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。月に1度そちらにお邪魔して楽しい
時間を過ごさせていただいていますが、そろそろ自分の職場で同じ工場の仲間と過ごす時間や自分のための時間に
貴重な時間を充てた方がよいように思います。必要があればお伺いすることに吝かではありませんが、休日の貴重な
時間をもっと有効な、例えば大事な人と過ごす時間に充てられた方がよいように思います。稲田さんという勤勉で
やさしい心遣いができる女性と楽しい時間を持つことができたのは私の人生の大きな財産であり、これからも機会が
あれば、ご助力をいただくこともあろうかと思いますが、ひとまずは休日にお伺いすることは、次回にて終わりと
したいと思うのですが、稲田さんはどのようにお考えでしょうか。次回の訪問の際にでも率直な意見をお聴かせ下さい。

上野は次回の訪問の際に稲田から直接話を聞こうと考えていたが、稲田から手紙が来た。

3月と言っても、そちらはまだ寒い日が続いていることと思います。いかがお過ごしですか。
お手紙拝見しました。上野様は貴重な時間をわざわざ私のために作って下さった、ということを考えて来なかったように
思います。大きな負担になることを考えずに、当たり前のように自分のために使わせていただいたように思います。
ほんとに自分勝手で思いやりのない私だと思いますが、これからは上野様からのよきご指導をさらに得て、人並みに
評価される女性になれるよう頑張りたいと思っています。取り敢えず次回はご訪問いただけるということなので、
それから先のことはその時にお話ししましょう。何度もお誘いいただいた、夕食のお誘いを受けることにします。
工場での引き継ぎが終わったら、街に出てどこかでお食事をしましょう。そのためには翌日が休みでないといけない
(夕食を食べてから東北まで帰られるのは無理ですものね)ので、ご都合がよろしければの話ですが、今月の連休の
1日目に来ていただくのがいいかと思います。またお会いできることを心待ちにしています。かしこ。

上野は稲田が食事の誘いに応じてくれたことを素直に喜んだが、「工場での引き継ぎが一段落したら、街に出て」という
ところが気になった。
<もしかして、白銀の美女が現れて...。いいや、彼女とは何もないんだから、恐れることはないんだ。でも...>