プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生71」

小川は友人の結婚式に出席するため朝、新幹線に乗り、大阪へと向かった。隣の席にはイギリス人らしい、
ピーター・オトゥールに似た外国人が座っていた。彼は、小川の横に腰掛けてすぐに分厚いペンギンブックスを
読み始め、もうすぐ名古屋に着くという時まで夢中になってその本を読んでいた。
<さっきから、この外国人はいかくんを食べる時以外は読書に没頭している。何を読んでいるのだろう。さっき、
 CHARLES DICKENS は読み取れたが、タイトルがわからない。あれっ、なんだかこの紳士の様子が変だぞ>
しばらくすると、HAHAHAHAHA と口だけで笑っていたのが、涙を流して大きな口を開けて笑い始めた。
どうしても堪え切れずに笑いながらトイレに駆けて行ったが、小川は思わずその後を追いかけ、トイレの前で
中の様子を伺った。しばらく紳士はトイレの引き戸を叩きながら大爆笑していたようだったが、5分もすると
小川の前に現れた。小川は英語を話すことはできなかったが、アーユーオーケーと言ってみた。
「オウ、ワタシノことを気にしてくれたのですね。シンパイかけてすみませんでした」
「あなたは日本語がお上手ですね」
「ええ、もう10年日本に住んでいますので」
「そうですか。ところで、どうしても気になるのでお訊きしたいのですが、先程、読まれていたのは...」
「ああ、それなら、Nicholas Nickleby ですよ。Chapter48 のところで、以前、ニコラスがいた旅芸人の
 一座の座長とニコラスとの会話の中で、「本格悲劇をやる役者が、いざオセロをやるとなると(顔と首だけ
 でなく)体中真っ黒にしよったものじゃ」という座長の発言があり、それがワタシノ大爆笑を誘発したのでした」
「なるほど。私もディケンズのファンですが、まだ、ニコラス・ニクルビーは完訳が出ていないので読んでいません。
 あなたをそれほど楽しませるものなら、何とか読みたいものです」
「ディケンズの3作目の長編小説で強引な展開があり、西部劇のようなところもありますが、ユーモアたっぷりの
 ディケンズの魅力いっぱいの小説です。日本語訳が出た時には是非読んでみて下さい。オットイケナイ。ワタシハ
 ココデオリナケレバ。サヨナラ」
その外国人はそう言うと、座席に戻り荷物を持つと車外に消えた。

大阪まで約1時間あるので、小川がうとうとしていると夢の中にディケンズ先生が現れた。
「小川君、「ニコラス・ニクルビー」の和訳が出版されるのが待ち遠しいだろうが、数年内に出版されるので、
 楽しみにしているといいよ」
「先生、なぜそれほどまでに楽しい小説が翻訳されなかったのでしょうか」
「それはいろいろあるが、まあ読んでからのお楽しみ、ということかな」
「......」