プチ小説「月に寄せて11」

上野の話を黙って聞いていた稲田は、話が途切れたのを機に話し始めた。
「上野さんは白銀の美女と言っているけれど、私からは白銀さんと呼ばせてね。出会いがロマンティックで
 私より先に上野さんの心を掴んだんだから、優先権は彼女にあるのかも...。私が現れなかったら、上野さんは
 その人に今も好感を持っていたのでは」
「そんな。ぼくが困っているのをわかってほしい。ぼくとしては、過去はどうであれ今は稲田さんとのおつき合いを
 大切にしたいんだ。夢の中にも彼女が現れて悪い印象を残しているのだから、なんとかしたいんだ」
「ごめんなさい。こんな時に冗談を言ったりして、でも今私たちふたりが白銀さんに真剣に対峙する必要があるかしら。
 あなたの気持ちが変わらないのなら、私はあなたと一緒に歩きたいけれど、白銀さんの言動に心が動かされる
 のなら、私としてはどうしようもないわ。今日はこれから楽しい夜を過ごす予定で、その貴重な時間を大切にしたい。
 でも、普段は遠く離れて生活するカップルが心を繋ぎ止め続けるのに何が可能かというと、限られているわ。ひとつは
 手紙、ひとつは電話ということになるけれど、こうしてお会いして話をするほど心を通わすことができないと思うの。
 上野さんのお話では、その人は私たちより少し年齢が上のようだけれど、白銀の美女ということだし、私なんかより」
「せっかくの高まった気持ちを台無しにしたくない、ぼくのつまらない想像のために。だから、もうよそう」
「私もそうなんだけれど...。でも、このままで終わりにするのはよくない思うの」
「うーん、どうしたものか。あれっ、もうこんな時間か。急いで出掛けないと夕飯を食べ損なってしまうよ」
「そうだったわね。私、近くのレストランに予約を入れているの。話の続きは、そこでしましょう。いろいろお話を
 聞いたので、突然、白銀さんが現れても大丈夫だと思うわ」
そう言って稲田は明るく笑ったが、上野は二人の間に今までにないもやもやが広がりつつあるのを感じた。

ふたりは事務室の灯りを消すと、工場の出口に向かった。門をくぐる際に守衛はふたりに声を掛けた。
「おふたりとお会いするのをいつも楽しみにしているんですよ。だって、ふたりは明るくて、話した後にこちらも楽しく
 なるもんで。今度はいつ来られるのかな」
「守衛さんには申し訳ないんだけれど、今日で終わりなんだ」
「でも、守衛さんのいないところで、こっそり会うのは続ける予定よ」
「ははは、その方が自然さ。その格好は街の中の方が映えるというものさ。それじゃー、上野さん、また会う日を
 楽しみにしていますよ」
上野は守衛の話に最初はしっかりと反応したが、後の方は言葉を詰まらせた。目の前に白銀の美女が現れたからだった。