プチ小説「月に寄せて16」

上野と稲田は四条河原町の高島屋で待ち合わせて、1ヶ月前に2人で行ったカラオケ喫茶 に入った。
「特に支障がなければ、ずっとここで練習しましょう。サックスやトランペットは大きな音がする
 からここでの練習は難しいけれど、クラリネットの場合、木管楽器なのでそれほど大きな音が
 しないから、カラオケ喫茶でもできるの。でも両隣の部屋が使われていないようにする配慮は必要
 だわ。スタジオを借りるとここの数倍の料金がかかるし...」
「でも、あれからクラリネットのことを調べたけれど、音楽的な知識は中学で習った程度、というのは
 ぼくが行っていた高校では音楽は選択科目だったから、だから楽譜がほとんど読めない初心者のぼくが
 演奏できるものなんだろうか」
「私はピアノやオルガンのような鍵盤楽器やギターやヴァイオリンのような弦楽器は音楽的な素養が
 なければすぐに行き詰まると思うけれど、クラリネット、フルート、トランペットそれにサックス
 なんかは一人で演奏するだけなら、その音、例えばシ・フラットはどこを押さえればよいかを知って
 いればそれで十分だと思うの。自宅で楽譜を見ながら何度か練習しているうちに上手になって行く。
 ただその楽器の音に愛着が持てないと続かないかも。私はクラリネットの音が大好きだから、中学校の
 頃から今まで続けられたけれど、上野さんはどうかしら」
「クラリネットの音は好きだよ。今日は2つも重たいのに持って来てくれたんだね」
「そう、でも今日からこちらのクラリネットはあなたにお貸しするから、お荷物になるけど持って帰ってね。
 それじゃあ、まずは、楽器を組み立ててみましょう。ベルと下管を繋いで、それからバレルと上管を繋いで
 このふたつを繋いでみましょう。その際上管の中指のキーを押さえて接合部が接触しないようにして下さい。
 次にマウスピースを付けますが穴は下方に向けて下さい。最後にリガチャーでリードを止めますが、
 その前にリードは湿らせておいて下さい。リードの固定位置は、最上部から髪の毛1本分くらいわずかに
 下に取り付けて下さい。組み立てられたら、息を吹き込んでみましょう。腹式呼吸をして息がベルから出る
 くらいの強さで吹きましょう。リードは下唇の中央にあて、上の歯をマウスピースの上部に当てるように
 して下さい。これらの口まわりのことを総じてアンブシャーと言いますが最初から固定してしまうより長い
 目で見て少しずつ自分にとって最良のアンブシャーを見つけて行って下さい。きょうのところは、全く
 キーを押さない、ソの音が安定して出せるようにして下さい」
「はい、よくわかりました。先生」
「ふふふ、その調子で、しばらくは反抗しないでまじめな生徒でいてね」

「私のレッスンどうでした」
「なんか、初めてのことばかりで慣れるまで大変だろうけど、次回までには安定した音が出せるようにしておくよ」
稲田にそう言って、上野は仙台行きの夜行バスに乗り込んだ。