プチ小説「たこちゃんの年始」

ニューイヤー、ノイヤール、アーニョヌエヴォというのは新年のことだけど、一人暮らしで
独りよがりのぼくは、運に恵まれたいという欲求は人の何百万倍も強い。そんなぼくだから、
初詣は近所の神社に昼間にお参りするだけでは物足りなくて、重厚で壮大なお参りができないものか
と考えたりする。苦労してお参りすればするほど、神様がぼくの努力を認めて下さるので、
ご利益が大きくなると考えているからだ。 そこである年の大晦日の夜に十分な計画を立てない
ままに家を出て年明けて日が昇るまでにできるだけたくさんの京都の神社をお参りしようと
考えたのだった。今ではだいたい午後11時前に家を出て阪急電車に乗り、西院駅まで行き、
北野天満宮、上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮、八坂神社を順番にお参りしていく。
当初は京都の地理に不案内で道に迷ったり、零度以下で水たまりが凍結してスケートリンク
のようになったところを歩いたことがあり過酷だったけれど、数回行っているうちに最短の
コースを見つけ防寒対策などの装備が充分できるようになり、昼間にお参りするのとあまり変わらなく
なったのだった。仕事が忙しくなったこともあって、お参りにだんだん負荷がなくなって行けば
行くほどご利益が漸減して行くような気がして、元日未明のお参りは一思いに止めた。
お参りした神社では必ずおみくじを引くのだが、ぼくはくじ運が悪いのかおみくじを
引いて出るのは、ほとんど凶だ。大吉はほとんど当たることはない。最初のお参りの時にも
5つの神社にお参りしておみくじを引いたけれど、下鴨神社が平だった以外はすべて凶だった。
それでもそれで悪い気を降ろしたように思って、弾んだ気持ちで帰ったのだったが。
お参りやおみくじは非科学的なことと高校時代は拒絶していたが、今は人間が丸くなったせいか、
己の限界を知り他力本願の傾向が強くなったせいか、折りに触れて、神様の力添えを
期待している。一度止めた元日未明のお参りも数年に1回くらい行っている。そんなぼくは
自分のことを、本当に愛すべきありきたりの凡人だと思っている。そう言えば、駅前で客待ちを
しているスキンヘッドのタクシー運転手は、正月をどのように過ごしているのだろうか。
年末で忙しいからか、駅前にいないぞ。あっ、どうやら戻って来たようだから声を掛けてみよう。
「お忙しいそうですね」「シ エストイオキュパドアオラ エンケプエドセルヴィールレ」
「特に用事はないのですが、少し尋ねたいことがあるのです」「忙しいんやから早うゆうてなー。
ぼくはこう見えても仕事の蛸やなくて仕事の鬼と言われてるんや」「そうですか。ところで
鼻田さんは年末年始はどうされるのですか」「今年は元日はゆっくりできそうやけれど
あとは仕事やなー。うちらは現場に出てなんぼやからな。君らみたいに薄給とちゃうから」
そう言って、「骨まで愛して」をフルコーラス聞かせてほしいと言うのを振り切って、
他の客を乗せてどこかに行ってしまったのだった。ぶつぶつぶつ...。